江戸後期,二宮尊徳が創始した興国安民を実現するための事業様式。関東農村の荒廃という歴史的環境のなかで,尊徳は家・村を復興し「興国安民」を実現する方策として考案した。1823年(文政6)に着手した旗本宇津氏知行の下野国桜町領(現,栃木県真岡市)の仕法の成功により,天保期以降,関東および周辺地域に広まった。各自の収入に応じて支出に限度を設ける分度(ぶんど)と,余剰を将来や他人のために譲る推譲(すいじょう)を原理とする。尊徳自身はみずから領主の行財政を指導して仕法を実施したが,幕末以降近代化の過程で農民みずから結成した報徳社が遠江国を中心に全国的に結成され,これが近代の報徳仕法の担い手となった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…推譲とは今日のものを明日に譲り,今年のものを来年に譲り,そのうえ子孫に譲り,他人に譲るという行為を意味する。報徳仕法とは,前述のような報徳の教えを実践することを意味し,尊徳が難村立直しの経験とその過程で自得した生活技術を基礎に,これを社会に適用しようとする一種の農村計画であった。 幕末期における報徳社の活動は,時勢に適合するところが多く,東海地方を中心に相模,甲斐,伊勢,河内など各地の農村に深く浸透するにいたったが,とくに遠州地方では,1847年(弘化4)安居院(あぐい)義道が報徳仕法に基づき一社を組織したのを契機に,その後岡田佐平治ら同地方の地主層の指導のもとに,漸次その組織を拡大していった。…
※「報徳仕法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新