20世紀日本人名事典 「金光弥一兵衛」の解説 金光 弥一兵衛カナミツ ヤイチヒョウエ 大正・昭和期の柔道家 生年明治25(1892)年3月30日 没年昭和41(1966)年12月25日 出生地岡山県岡山市上内田町 学歴〔年〕順天中卒 経歴岡山が生んだ柔道大家。岡山中学校を中退した後、東京の講道館などで柔道を修業。東京帝国大学、広島高等師範(現広島大)などで柔道教師を歴任。その後旧制六高(現岡山大)を率い、全国高校専門学校柔道大会で連続優勝に導く。また大正13年の第1回明治神宮全日本選手権(現在の全日本柔道選手権)で優勝し柔道日本一に輝いた。戦後は学校を離れ、岡山市内の道場「玄武館」で若手を育成、門下生は約3万人に上った。柔道9段。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金光弥一兵衛」の解説 金光弥一兵衛 かなみつ-やいちひょうえ 1892-1966 大正-昭和時代の柔道家。明治25年3月30日生まれ。講道館で修業し,東京帝大,広島高師などで柔道教師をつとめる。大正9年六高の柔道教師となり,11年から連続8回全国高専大会優勝にみちびく。13年第1回明治神宮大会で優勝。昭和17年六高教授。23年9段。昭和41年12月25日死去。74歳。岡山県出身。順天中学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by