金勝中村(読み)こんぜなかむら

日本歴史地名大系 「金勝中村」の解説

金勝中村
こんぜなかむら

[現在地名]栗東町御園みその

上砥山かみとやま村の東、谷筋から流れ出た金勝川・ほそ川・穴口あなぐち川が合流する谷口低地に立地。金勝川右岸の蔵町くらまちと細川左岸の山入やまいりの二枝郷がある。慶長検地では高五六九石余(正徳三年「郷村高付帳」中村文書)。寛永石高帳・正保郷帳では高五六八石余で膳所藩領、ほかに一九石余(金勝寺領か)。以後幕末まで同藩領。慶安高辻帳では田四〇三石余・畑二二石余・永荒一四二石余、小物成米一九石余。享保一〇年(一七二五)石部いしべ宿(現甲賀郡石部町)助郷に勤高五四一石で出役(三大寺文書)。元文五年(一七四〇)当村と枝郷の山入が諸役の配分割合をめぐり対立。山入側は分村して諸役を村切とすることを要望したが、膳所藩は認めなかった(川辺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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