金崎宿(読み)かなさきしゆく

日本歴史地名大系 「金崎宿」の解説

金崎宿
かなさきしゆく

[現在地名]西方村金崎

例幣使街道の宿で、南に一里三〇町の合戦場かつせんば宿(現下都賀郡都賀町)と北に一里八町の楡木にれぎ宿(現鹿沼市)の間に位置。宿高五〇〇石余、加宿新宿あらじゆく村と深見内ふかみうち村が勤めた。宿内町並は南北五町三〇間。天保一四年(一八四三)の男一八一・女一九九、家数八六、うち本陣一・旅籠屋一二。字中町に人馬継問屋場一・問屋二・年寄三・下役三。宿建人馬は二五人・二五疋で、うち囲人馬五人・五疋。宿北端を出て東に曲がり小倉おぐら川を渡ったが、同川の幅は常水時には二五間ほど、出水時は一〇〇間余となり、五月から八月の平水時は歩行渡、増水時には小船を利用。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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