精選版 日本国語大辞典 「徳川家慶」の意味・読み・例文・類語
とくがわ‐いえよし【徳川家慶】
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江戸幕府第12代将軍。11代将軍家斉(いえなり)の二男。幼名敏次郎。1837年(天保8)将軍職を継いだが、家斉在世中は家斉の大御所政治に実権を握られた。1841年、家斉の死後、老中水野忠邦(みずのただくに)を首座に任用して幕政の改革を行った(天保(てんぽう)の改革)。しかし、改革は急激にして、また各方面に厳格にすぎたため人心を失い、忠邦は2年余で失脚した。その後、阿部正弘(あべまさひろ)を老中首座に起用し、有力諸藩の改革派勢力に対して柔軟な路線を採用したため、幕末の雄藩連合運動の素地をつくることとなった。1853年(嘉永6)6月のペリー来航に際しては病床にあり、外交を正弘と水戸藩主徳川斉昭(なりあき)に任せて死去した。法号慎徳院。
[井上勝生]
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1793.5.14~1853.6.22
江戸幕府12代将軍(在職1837.9.2~53.7.22)。父は11代家斉。母は側室香琳院。幼名敏次郎。法号慎徳院。1837年(天保8)将軍職を継いだが,父家斉が大御所として実権を握っていた。41年家斉の死後,信任する水野忠邦に倹約令と風紀取締りを基調とした天保の改革を断行させる。しかし43年上知令問題の紛糾のため水野を罷免。土井利位(としつら)を老中首座に任じたが,土井も1年足らずで辞任。その後阿部正弘を老中に抜擢し混乱した幕政を立てなおさせた。家慶は「そうせい様」と陰口され,江戸庶民は顔を鋳型でいろいろに変える女性の図柄で風刺した。53年(嘉永6)6月3日のペリー来航直後に病死。
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(藤田覚)
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