上都賀郡(読み)かみつがぐん

日本歴史地名大系 「上都賀郡」の解説

上都賀郡
かみつがぐん

面積:三九五・六三平方キロ
足尾あしお町・粟野あわの町・西方にしかた

県西部中央に位置し、郡域は北西から南東に延びる帯状を呈する。北は日光市、東は鹿沼市・下都賀郡壬生みぶ町、南は同郡都賀町・栃木市、西は安蘇あそ葛生くずう町、群馬県勢多せたあずま村・同県利根とね郡利根村に接し、足尾山塊と同山塊西側を流れる渡良瀬川上流、同東側を流れる粟野川粕尾かすお川・永野ながの川の形成した深く長い渓谷、小倉おぐら(思川)の形成した扇状地を占める。明治一一年(一八七八)の郡区町村編制法により都賀郡が上下に分れて成立し、その後鹿沼市・日光市・今市市が成立し、のち合併編入が進み、現在の二町一村となった。なお足尾村と粕尾川流域の上・中・下粕尾村三村(現粟野町)永野川流域の上・下永野村二村(現同上)は、もとは安蘇郡に属していたが、明治九年区画改定によって都賀郡に編入された。以下の記述は、明治一一年上都賀郡成立当時の郡域を対象とし、日光市・今市市・鹿沼市域も含む。

〔原始〕

当地方は山地が優勢で、それらの谷間や、小扇状地、谷口の小平野は狩猟や原始農耕による生活の場としてふさわしい地域であった。縄文時代の遺跡が比較的濃密に分布するのは、今市・鹿沼両市の扇状地とそこに接する山地の鞍部などで、鹿沼市に六〇ほど、今市市に三五ほどが数えられる。ほか粟野町の深い谷を刻む河川の谷間や西方村の谷間などに、それぞれ一〇―一二の遺跡があげられる。西方村の郷長山ごうちようざん遺跡は赤津あかづ川に面した山地末端部台地上に位置し、早・前・中期の縄文土器のほか、土師器須恵器および石鏃・石斧などの石器を出土。粟野町では粕尾川の段丘上や、同川が粟野川を合せた小倉川の谷口平野北半田きたはんだ深程ふかほどにみられる。同町上粕尾の上の山うえのやま横根山よこねやま、中粕尾の遠木とおぎなどの縄文遺跡は、早・前期の狩猟民の生活の痕跡と考えられる。また上粕尾の栃原とちばら遺跡、口粟野くちあわの口粟野遺跡、下永野の久分きゆうぶ遺跡、さらに下流の深程の宮下みやした宮入みやいり両遺跡は縄文中・後期の遺跡である。日光市・足尾町にはきわめてわずかしか分布しない。当地方の縄文遺跡は、利根川文化圏といわれる南関東の影響化にある。なお貝塚はない。

弥生遺跡は縄文やのちの土師器・須恵器などを出土する複合的なものを含めても、郡全体で六、七ヵ所であり、現郡域にはほとんどみられない。古墳時代の遺跡は日光市・今市市には皆無で、鹿沼市南部のくろ川流域、粟野川南部と西方村東部の小倉川西岸などに合計十数ヵ所の古墳が確認できるのみである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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