金谷範三(読み)カナヤ ハンゾウ

20世紀日本人名事典 「金谷範三」の解説

金谷 範三
カナヤ ハンゾウ

明治〜昭和期の陸軍大将



生年
明治6年4月(1873年)

没年
昭和8(1933)年6月5日

出生地
大分県高田町

学歴〔年〕
陸士(5期)卒,陸大〔明治34年〕卒

経歴
陸士卒業後、歩兵第3連隊付として日清戦争に出征。陸大卒業後、明治34年第3連隊中隊長、陸大教官を経て、第2軍参謀として日露戦争に出征した。その後ドイツに駐在し、ドイツ、オーストリア大使館付武官を務めた。大正4年歩兵第57連隊長、5年参謀本部作戦課長、7年支那駐屯軍司令官、8年参謀本部第1部長、11年第18師団長、14年参謀次長を歴任。昭和2年朝鮮軍司令官、3年大将、5年参謀総長となり、満州事変勃発の責任者となった。6年軍事参議官に転じ、8年在任中に退役した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金谷範三」の解説

金谷範三 かなや-はんぞう

1873-1933 明治-昭和時代前期の軍人
明治6年4月24日生まれ。日露戦争では第二軍の参謀として出征。参謀本部第一部長,第十八師団長,朝鮮軍司令官などをへて昭和5年参謀総長となる。翌年満州事変勃発時に,関東軍暴走をおさえられなかった。陸軍大将。昭和8年6月6日死去。61歳。大分県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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