20世紀日本人名事典 「針塚長太郎」の解説 針塚 長太郎ハリヅカ チョウタロウ 明治〜昭和期の教育者 上田蚕糸専門学校校長。 生年明治4年11月30日(1872年) 没年昭和24(1949)年9月21日 出生地群馬県 学歴〔年〕帝国大学農科大学農学科〔明治29年〕卒 経歴官界に入り、拓殖務省・横浜生糸検査所・文部省実務教育局兼高等師範学校教授・視学官などを歴任。明治39年より2年間ドイツ・アメリカに留学し、帰国後は官立上田蚕糸専門学校の創立準備に当たった。43年同校の創立ととも初代校長に就任。以後、28年に渡って在職し、後進の育成と蚕糸業の発展・振興に力を尽くした。この間、信濃教育会長や大日本蚕糸会学芸委員・蚕糸中央会特別議員なども兼任している。昭和13年退官。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「針塚長太郎」の解説 針塚長太郎 はりづか-ちょうたろう 1872*-1949 明治-昭和時代の教育者。明治4年11月30日生まれ。高等師範教授などをへて,明治39年アメリカ,ドイツに留学して農業教育をまなぶ。43年長野県の上田蚕糸専門学校(現信州大繊維学部)初代校長となり,養蚕業の発展につくした。昭和24年9月21日死去。79歳。群馬県出身。帝国大学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by