針山村(読み)はりやまむら

日本歴史地名大系 「針山村」の解説

針山村
はりやまむら

[現在地名]志雄町針山

相見あいみ川上流、聖川ひじりかわ村の南に位置する山村。天正一二年(一五八四)一〇月一一日の知行所付状(千秋家文書)に「三町六反半五分 はり山 此米百九拾俵壱斗六升弐合五勺」とみえ、宿しゆく(現押水町)敷波しきなみ村とともに奥村永福・千秋範昌が加増知行所として前田利家より与えられている。慶長一一年(一六〇六)から高一二九俵余が土方雄久領となり、うち荒六〇俵、残りの四割が百姓得分(土方雄久知行目録)。貞享元年(一六八四)から幕府領、享保七年(一七二二)から加賀藩預地となって明治に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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