針畑庄
はりはたのしよう
北川上流と針畑川上流に位置する古代以来の庄園。現在の能家・小入谷・生杉・中牧・古屋・桑原を庄域とする。治幡・針幡とも記され、朽木庄のうちとされることもあった。長承二年(一一三三)七月一二日の明法博士中原明兼勘注(近衛家本知信記天承二年巻裏文書)によれば、大治二年(一一二七)九月日の庁宣をひいて、「可以治幡村為朽木庄領事者、高嶋郡司字信濃公静意為国司後見之間、望知針幡庄、仍所構取也、不可為証文」と記され、大治二年以前に治幡村(針畑庄)の帰属をめぐり相論のあったことがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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