釣寄村(読み)つりよせむら

日本歴史地名大系 「釣寄村」の解説

釣寄村
つりよせむら

[現在地名]月潟村釣寄

釣寄新つりよせしん村の南に連なる。木曾義仲家臣の後裔木曾太右衛門が文禄年間(一五九二―九六)に開発、当時鶴瀬つるせあるいは鶴寄つるよせ村と称したという。元和六年(一六二〇)の三条御引渡郷村帳(幸田重寛氏文書)に村名がみえ高九七石余。同九年幕府領。寛永一三年(一六三六)の新潟与亥御成ケ本帳(菊屋文書)によれば前年に三九石八斗余の年貢米を上納し、同一八年の新潟与巳割付本帳(同文書)には高六一石六斗余、うち一斗は野手高新田成で引かれ、残り六一石五斗のうち本途五三石九斗余・免七ツ六分・取米四一石、新田六石四斗・免四ツ・取米二石五斗余、野手一石二斗・免五ツ・取米六斗、ほかに新田見取四斗余を合せ取米合計四四石六斗余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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