日本歴史地名大系 「鉈屋町」の解説 鉈屋町なたやちよう 岩手県:盛岡市盛岡城下鉈屋町[現在地名]盛岡市鉈屋町新穀(しんこく)町惣門を出て南東に延びる両側町で、四町ほどの町人町(「盛岡砂子」など)。南東は十文字(じゆうもんじ)を経て神子田(みこだ)組町、南西は川原(かわら)町、北東は寺(てら)の下(した)の寺院街に接する。町名は、往古京都より屋長清という富人が盛岡へ下向し、屋山菩提(ぼだい)院を建立したことによるという(内史略)。同院はのち斗米(とつこべ)へ移り、寛永城下図の斗米付近はなたや町と記され、「雑書」寛文一〇年(一六七〇)九月九日条には新なたや町の記載もみえ、「盛岡砂子」はかつて斗米付近も鉈屋町と称されていたとする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by