東中野村(読み)ひがしなかのむら

日本歴史地名大系 「東中野村」の解説

東中野村
ひがしなかのむら

[現在地名]盛岡市東中野町・神子田町みこだちよう茶畑ちやばたけ一―二丁目・中野なかの一―二丁目・小杉山こすぎやま東山ひがしやま一―二丁目・高崩たかくずれ・東中野・東中野下道ひがしなかのしたみち

盛岡城下の南東部、北上川の左岸に位置する。村内をやな川が西流し、北は新庄しんじよう村。中野村とも記す。中世には中野郷のうちとされ、現在の本宮もとみやにある大宮おおみや神社の応永一二年(一四〇五)銘をもつ鰐口に「奥州岩手郡中野郷大宮鐘 願主田村俊宅敬白」とあり、のち古中野こなかの・東中野・向中野むかいなかの三割みつわりの四村に分れたという(管轄地誌)。慶長四年(一五九九)八月一一日の南部利直知行宛行状(岩手県史)によれば、「岩手郡中野之内大宮村」において八五石余が北与兵衛に宛行われている。大宮村とは前記大宮神社の鎮座する本宮村であろうか。

寛永一八年(一六四一)の検地高四五九石余(「検地高目録写」県立図書館蔵)正保国絵図には中野村、二四六石余とある。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付には蔵入高六八〇石余とあり、七ヵ年平均の免は四ツ一分五毛。


東中野村
ひがしなかのむら

[現在地名]佐賀市兵庫町ひようごまち大字ふち字東中野

東は巨勢こせ川を境に巨勢郷瓦町かわらまち村と接し、南東は香田こうだ村、北は下淵しもぶち村、南はしも村、西は西中野村に接する環濠の集落。枝村として北に小太郎丸こたろうまるがある。

明徳二年(一三九一)には、この地域は巨勢庄に属していたと考えられ、同年正月一一日の玉林寺文書によると鑰尼かぎあま季高は「肥前国佐嘉郡巨勢之庄小太郎丸名田地拾五町」を玉林ぎよくりん寺に寄進している。


東中野村
ひがしなかのむら

[現在地名]大沢野町横樋よこどい大野おおの市場いちば坂本さかもと

大沢野上位段丘中央西寄りに位置し、西は大野村、南は舟倉ふなくら村。文化一三年(一八一六)完成の舟倉野ふなくらの用水によって開墾された。文政二年(一八一九)の野方総請高一千八二二石のうち東中野村の請高一一五石(舟倉野用水沿革誌)


東中野村
ひがしなかのむら

[現在地名]播磨町大中おおなか

経田きようでん村の東に位置する。慶長国絵図に村名がみえ、正保郷帳によると田方七三石余・畑方一石余。天保郷帳では高九三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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