日本歴史地名大系 「立川銅山」の解説
立川銅山
たつかわどうざん
新居郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
新居郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…近世の商家。住友財閥の前身。住友家は,2代友以(とももち)が京都で銅商泉屋を興し,1620年代から大坂を本拠として銅の精錬・輸出と外国品の輸入という家業の基礎を固め,3代友信,4代友芳の時代に諸銅山の稼行,江戸・長崎出店の設置,両替・為替業へ進出して,隆盛期を迎えた。また事業上の担保として家屋敷数十ヵ所を所有するとともに質地の流れ込んだ山本新田などの田畑を経営し,幕末には別子銅山の近辺で飯米用の新田を開発した。…
…さらに請負年季は5ヵ年であったが,実質的に永代請負となったことは,江戸時代の鉱山稼行として画期的なものといえる。隣接した立川山(たつかわやま)村域の立川銅山は西条藩領であったが,04年(宝永1)幕領となり,49年(寛延2)泉屋の江戸店手代名儀で稼行を許され,62年(宝暦12)名実ともに別子・立川両銅山は泉屋の一手稼行となった。しかし,別子の産銅は18世紀に入りしだいに減り,1718年(享保3)600tを割り,立川併合後も明治以前には年産600tをわずかに超えたのは数ヵ年である。…
※「立川銅山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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