鍋島閑叟(読み)ナベシマカンソウ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鍋島閑叟」の解説

鍋島閑叟 なべしま-かんそう

1815*-1871 江戸後期-明治時代大名
文化11年12月7日生まれ。鍋島斉直(なりなお)の17男。文政13年肥前佐賀藩主鍋島家10代となる。藩財政の改革おこない,殖産興業軍備強化につとめ,また公武合体斡旋(あつせん)した。維新後,新政府の議定(ぎじょう),開拓使初代長官。明治4年1月18日死去。58歳。名は斉正,のち直正。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の鍋島閑叟の言及

【鍋島直正】より

…幕末の佐賀藩主。号は閑叟(かんそう)。1830年(天保1)襲封。当時の佐賀藩は藩財政が窮乏し郷村の疲弊が著しかったので,藩政改革に着手し,郷村の復興と農商分離の政策を行う。なかでも均田制度と称された土地分給政策は農商分離の徹底を目ざしたもので,商人の郷村での土地保有が徹底的に排除された。また幕末期の外圧の高まりに対しては,佐賀藩が長崎警衛を担当していたこともあって長崎砲台の増築と軍事技術の改善を行い,反射炉を築き大砲製造の体制を整えた。…

※「鍋島閑叟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む