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鍋島直正 なべしま なおまさ

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美術人名辞典の解説

鍋島直正

幕末・明治の第十代佐賀藩主。幼名貞丸、信濃守・肥前守と称す。閑叟・茶雨・紫水等の号あり。藩財政の窮乏を改革するため殖産興業をはかり、長崎警備を重視し大砲の鋳造や反射炉の設立に力を入れるかたわら、蘭学・英学を奨励、海外文明の移殖につとめた。封土奉還ののち上院議員・蝦夷開督使長官を兼任、大納言に昇ずる。明治4年(1871)58才。

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デジタル大辞泉の解説

なべしま‐なおまさ〔‐なほまさ〕【鍋島直正】

[1814~1871]幕末の佐賀藩主。号、閑叟(かんそう)。藩政を改革し、殖産興業政策を推進。西洋文明を積極的に採用、軍備近代化・反射炉建設・蘭学奨励・種痘などを行い、名君としてきこえた。明治維新後、議定・開拓使長官などを歴任。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鍋島直正 なべしま-なおまさ

鍋島閑叟(なべしま-かんそう)

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世界大百科事典 第2版の解説

なべしまなおまさ【鍋島直正】

1814‐71(文化11‐明治4)
幕末の佐賀藩主。号は閑叟(かんそう)。1830年(天保1)襲封。当時の佐賀藩は藩財政が窮乏し郷村の疲弊が著しかったので,藩政改革に着手し,郷村の復興と農商分離の政策を行う。なかでも均田制度と称された土地分給政策は農商分離の徹底を目ざしたもので,商人の郷村での土地保有徹底的に排除された。また幕末期の外圧の高まりに対しては,佐賀藩が長崎警衛を担当していたこともあって長崎砲台の増築と軍事技術の改善を行い,反射炉を築き大砲製造の体制を整えた。

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大辞林 第三版の解説

なべしまなおまさ【鍋島直正】

1814~1871) 江戸末期の佐賀藩主。名は初め斉正。号、閑叟かんそう。1830年藩主となり藩政改革を推進、洋式兵備を採用して強力な軍備を整えた。明治新政府議定・開拓使長官などを務めた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鍋島直正
なべしまなおまさ

[生]文化11(1814).11. 江戸
[没]明治4(1871).1.18. 熱海
幕末の肥前藩主。斉直の子。初名,斉正。号は閑叟。天保1 (1830) 年2月藩主斉直の跡を継いだ。おりからの外国船出没にそなえて幕命により長崎の海防を厳にし,専売,殖産興業を奨励して藩の敗政改革を行い,その利殖で反射炉をつくり,大砲などの近代的兵器を備えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鍋島直正
なべしまなおまさ
(1814―1871)

幕末の佐賀藩主。幼名貞丸、初め斉正(なりまさ)。維新後直正と改名し、閑叟(かんそう)と号した。1830年(天保1)父斉直(なりなお)から家督を継いだが、前代の放漫財政によって藩財政は破綻(はたん)寸前であった。古賀穀堂(こがこくどう)らの改革派を側近に置き、藩校弘道館(こうどうかん)出身の人材を登用して人事を刷新し、天保(てんぽう)の改革を行った。均田制を施行して本百姓(ほんびゃくしょう)維持政策をとり、国産方を設置し、陶器、櫨蝋(はぜろう)、紙の開発や石炭の増産を行い、財政を立て直した。また、佐賀藩は長崎警備の任にあり、直正自身しばしば長崎に赴き、外国警備の重要性、西洋技術の優秀性を認めていたため、早くから洋式軍制改革を実施した。1852年(嘉永5)わが国で初めて反射炉の建設を成功させ、大量の銃砲を購入し、西洋艦船の製造・購入に努めた。また蘭学(らんがく)を奨励し、種痘(しゅとう)を施行し、幕末に薩長土肥と通称される雄藩の実力を養った。藩政改革の成功の反面、幕末の幕府・朝廷をめぐる政争への介入には一貫して慎重であり、直正は1860年(万延1)の幕府の召命を固辞し、翌1861年(文久1)隠退して二男直大(なおひろ)に家督を譲った。その後も招きによって再三上京したが政争への参加には慎重であった。戊辰(ぼしん)戦争では、強力な軍事力によって官軍に重きをなし、大隈重信(おおくましげのぶ)、江藤新平(えとうしんぺい)ら藩の実力者を新政府に送り込み、自らも議定につき、軍防事務局輔(すけ)、ついで制度事務局輔を兼任した。その後、上局議長、蝦夷(えぞ)開拓督務、開拓使長官を務め、大納言(だいなごん)に任ぜられた。明治4年1月18日没。[井上勝生]
『久米邦武編『鍋島直正公伝』全7巻(1920~21・鍋島家編輯所)』

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世界大百科事典内の鍋島直正の言及

【開拓使】より

…版籍奉還後,ただちに開拓使が設置されたのは,日露雑居の地樺太をめぐってロシアとの関係が緊張し,北方の開拓が急務とされたからであり,開拓によって国富を増進できるのではないかという期待もあった。開拓長官は初め鍋島直正,次いで東久世通禧(みちとみ)だったが,1870年5月に黒田清隆が開拓次官になってからは,黒田が開拓使の実質的な中心となった。黒田は74年8月から開拓長官となり,鹿児島出身の官僚を多く集めたので,開拓使は薩摩閥の独占するところとなった。…

【佐賀藩】より

… 領内では郷村が零落し商人の土地保有が進行した。このため,鍋島直正により改革が着手された。改革は当初郷村復興に重点が置かれ小作料納入猶予がとられたが,さらに土地を小作人に配分する政策が断行され,郷村復興費もかなり支出され,また藩借銀の整理が推進された。…

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