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鎧ヶ淵(読み)よろいがぶち

日本歴史地名大系 「鎧ヶ淵」の解説

鎧ヶ淵
よろいがぶち

[現在地名]吉良町瀬戸 寄名山

もと黄金こがねの地にあった深谷中世戦跡で、県道吉良―岡崎線西側の湿田として、わずかにその面影をとどめる。黄金の地名は現在消失。永禄四年(一五六一)四月、家康方深溝ふこうず(現額田郡幸田町)の松平好景勢を、吉良方むろ(現西尾市)の富永伴五郎が、現在の黄金堤付近の狭間で挟撃し、池の中に追落してから、この池を鎧ヶ淵をよぶようになる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鎧ヶ淵の言及

【兜町】より

…兜塚(現在の兜神社内)の由来については次のような話が伝えられている。1050年(永承5)ころ,源義家は前九年の役に大軍をひきいて奥州に向かう途中,このあたりで暴風雨に見舞われ,鎧(よろい)1領をとって海中に投じ,竜神に手向けて難をのがれた(これにちなみ,この所を鎧ヶ淵と呼ぶようになったという)。義家は奥州征伐凱陣のとき,先の報賽(ほうさい)のため,また東夷鎮護のためとして,自らの兜を埋めて塚を築いた(のちに里人が義家の霊を鎮める祠を建て,これが兜神社になったと伝えられている)。…

※「鎧ヶ淵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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