日本歴史地名大系 「鎧ヶ淵」の解説
鎧ヶ淵
よろいがぶち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…兜塚(現在の兜神社内)の由来については次のような話が伝えられている。1050年(永承5)ころ,源義家は前九年の役に大軍をひきいて奥州に向かう途中,このあたりで暴風雨に見舞われ,鎧(よろい)1領をとって海中に投じ,竜神に手向けて難をのがれた(これにちなみ,この所を鎧ヶ淵と呼ぶようになったという)。義家は奥州征伐凱陣のとき,先の報賽(ほうさい)のため,また東夷鎮護のためとして,自らの兜を埋めて塚を築いた(のちに里人が義家の霊を鎮める祠を建て,これが兜神社になったと伝えられている)。…
※「鎧ヶ淵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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