日本歴史地名大系 「瀬戸村」の解説
瀬戸村
せとむら
- 愛知県:瀬戸市
- 瀬戸村
北・東・南を比高五〇メートル前後の山に囲まれた小盆地で、中央部を瀬戸川が東から西に流れている。
瀬戸村
せとむら
現大瀬戸町域の南西部に位置し、西部は外海(五島灘)に臨む。一五六六年(永禄九年)三月一七日のアルメイダ書簡(イエズス会士日本通信)にセトとみえ、セトとユキノウラで反乱が起きたため大村純忠が派兵し、反乱者やその他の者が一つの城に集まったのでこれを包囲し、船二五艘を奪ったという。また平戸から救出のため船一〇隻を送ったが、その結果についていまだ知らせはないと伝えている。江戸時代は大村領の
瀬戸村
せとむら
- 佐賀県:伊万里市
- 瀬戸村
小字名に
瀬戸村
せとむら
- 山梨県:大月市
- 瀬戸村
文禄―慶長期(一五九二―一六一五)のものと推定される四郡高〆控によると高一〇七石余。寛文一二年(一六七二)の検地帳(県立図書館蔵)では高一一〇石余、反別は田方はなく屋敷一町二反余、上畑(九斗代)二町四反余・中畑三町余・下畑五町三反余・下々畑五町七反余・見付畑四町五反余で、漆二二束余・桑一一七束余。
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
南は印旛沼に面し、東は
瀬戸村
せとむら
- 兵庫県:豊岡市
- 瀬戸村
中世は
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
手取川と支流
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
- 千葉県:野田市
- 瀬戸村
瀬戸村
せとむら
- 山口県:下松市
- 瀬戸村
南流する
弘治三年(一五五七)八月二八日付の杉松千代丸知行書立(「閥閲録」所収杉七郎左衛門家文書)に「一、百五拾石 都濃郡内久米郷、但怒久見・世戸両畑除之」とあり、瀬戸は
慶長五年(一六〇〇)の検地帳では瀬戸村として総高二四七石九斗七合、同一五年の検地帳では瀬戸とあり高五二〇石余、うち田方が三五町余で四二四石余、畠方が二八町余で六八石余、百姓屋敷五三とある。
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
- 岐阜県:中津川市
- 瀬戸村
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
- 高知県:高知市
- 瀬戸村
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
ひのせとむら
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
東と南は
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せどむら
瀬戸川の上流域、
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
瀬戸村
せとむら
- 三重県:熊野市
- 瀬戸村
瀬戸村
せとむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報