鎮西城跡(読み)ちんぜいじようあと

日本歴史地名大系 「鎮西城跡」の解説

鎮西城跡
ちんぜいじようあと

[現在地名]上峰村大字堤

屋形原やかたばる村の北方、鎮西山(二〇一メートル)にある中世の山城跡。山上に塁壁遺構があり、南麓の屋形原には居館跡といわれる所がある。一名「ごまがい城」といい、「肥陽軍記」は鎮西八郎為朝の居城としているが、伝えられる合戦の規模から推せば、日向太郎の居城とするのが妥当であろう。日向太郎の居城はまた現中原なかばる町の綾部白虎あやべびやつこ(→綾部城跡に擬せられることがある。

崇徳天皇の頃、藤原道長五代の子孫藤原幸通は肥前権守となって三根郡綾部に下った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む