上峰村(読み)うえみねむら

日本歴史地名大系 「上峰村」の解説

上峰村
うえみねむら

[現在地名]与野市上峰一―四丁目

鈴谷すずや村の北西に位置する。村の北東方から南西方にかけて羽根倉はねくら道が通る。「かみみね」ともいった(風土記稿)。天文八年(一五三九)二月三日の北条氏綱判物(大藤文書)に「上峯」とみえ、氏綱は金谷斎(大藤信基)に上峯の内で雑色分と中林を宛行っているが、「上峯」は当地のことか。

天正一八年(一五九〇)徳川家康の関東入国後は初め本多正信が領したと伝え、同一九年に検地を受けたという(風土記稿)。地内の円福えんぷく寺釈迦堂に安置する釈迦如来坐像の脇士阿難の胎内文書の一通に、正徳四年(一七一四)の由来書があり、それによると正信は寺を破却して陣屋を設けたとされ、その跡地と推定される場所の小字名は陣屋じんやという。与野領に属した(風土記稿)。田園簿には上嶺村とあり、田四七石余・畑六二石余で、旗本宮崎領。同じ宮崎領の沼影ぬまかげ(現浦和市)に、同氏家臣の発給した寛永一九年(一六四二)から元禄一〇年(一六九七)年貢割付状(細淵家文書)が残ることから、当村が宮崎領となったのは元和元年(一六一五)か寛永一〇年のことと思われる(寛政重修諸家譜・柳営補任)

上峰村
かみみねむら

面積:一二・八三平方キロ(境界未定あり)

三養基郡の西部に位置し、東は中原なかばる町・北茂安きたしげやす町、南は三根町、西は神埼郡東脊振ひがしせふり村・三田川町、北は中原町に接する。村域は南北に細長く、地形は北から山地・丘陵・平地と漸移し、低地南部はクリークが発達している。切通きりどおし川が北部山地に源を発し切通を過ぎて村の東限を南流する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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