鏡作郷(読み)かがみつくりごう

日本歴史地名大系 「鏡作郷」の解説

鏡作郷
かがみつくりごう

和名抄」高山寺本に「加美都久利」、刊本に「加々都久利」と訓ずる。「大和志」は「已廃存八尾小坂二村」として現磯城しき郡田原本町大字八尾やお小阪こざか付近に比定。優婆塞貢進文(正倉院文書)に「大養徳国城下郡鏡作郷」とあり、「延喜式」神名帳の城下郡にみえる鏡作坐天照御魂かがみつくりにいますあまてるみたま神社・鏡作伊多かがみつくりいた神社・鏡作麻気かがみつくりまけ神社はそれぞれ大字八尾・保津ほつ・小阪の同名社に比定されている。なお三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に「常楽寺七丁四反大 三十六歩 鏡作西辺也 正願院領 城下郡」、「大乗院雑事記」文明一五年(一四八三)七月一一日条に「就河合井手事、箸尾与十市相論事出来、筒井此間両方儀色々仲人云々、仍令腹立八田(ママ)電云々、仍一昨日筒井帰陣云々、本来之及相論題目也云々、自鏡作之辺長谷川之箸尾郷ニ可下於依井手上不流箸尾郷云々、仍自箸尾可切井手之由云々、井手事ハ八田加下知事也、大ナル相論題目也」の記事がみえる。


鏡作郷
かがみつくりごう

「和名抄」諸本にみえる郷名。東急本に「加々美豆久里」の訓がある。郷名は鏡製作や祭祀にかかわる鏡作部が分布したこととかかわるか。大同元年(八〇六)の牒(新抄格勅符抄)に「鏡作神 十八戸大和二戸、伊豆十六戸」とあり、天平一一年(七三九)度の伊豆国正税帳(正倉院文書)にみえる「弐処神戸、天平十年定穎壱万肆仟伍伯伍拾束」が二ヵ所に分れていた鏡作神社(現奈良県田原本町の鏡作坐天照御魂神社か)の神戸とするならば、田方郡に奈良時代から鏡作神社の神戸が設定されていたと考えられ、その一部が当郷であった可能性もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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