長善寺村(読み)ちようぜんじむら

日本歴史地名大系 「長善寺村」の解説

長善寺村
ちようぜんじむら

[現在地名]村山市長善寺

最上川支流の樽石たるいし川中流に位置し、東は大槙おおまき村。最上氏領から元和八年(一六二二)新庄藩領となり、上谷地かみやち郷に属した。新田本村鑑に「湯野沢村之内何れの頃別村に成候哉不相知なり」とあり、湯野沢ゆのさわ村より分村した年月はつまびらかでないが、湯野沢村の項のうちに元禄一三年(一七〇〇)の当村の高二七三石余と記される。吉村本村鑑によれば、明和三年(一七六六)の高四二三石余・反別三七町七反余、寛政六年(一七九四)の家数四五・人数二八〇、文化九年(一八一二)の家数五六・人数三〇九、馬一六・牛一で、枝郷に水口みなくちがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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