日本歴史地名大系 「長岡針村」の解説 長岡針村ながおかはりむら 宮城県:古川市長岡針村[現在地名]古川市長岡針江合(えあい)川北方の水田地帯にある。遠田(とおだ)郡に属し、東は田尻(たじり)村(現遠田郡田尻町)、北は中目(なかのめ)村(現同上)、西は馬放(まはなし)村・狐塚(きつねづか)村、南は富長(とみなが)村に接する。古代から中世の長岡(ながおか)郡の一部で、この郡の南東へ張出した所のための村名ともいい、また長岡墾(はり)として、開墾地との考えもある(栗原郡旧地考)。正保郷帳に田五四貫九六二文・畑七貫二四文とあり、ほかに同所新田四七二文がある。「安永風土記」によれば、田五五貫六七〇文・畑一〇貫五九二文で、蔵入は二九貫八三一文、給所は三六貫四三一文、人頭三〇人、家数三二(うち借屋二)、男八〇・女六二、馬一二とあり、神社は村鎮守針崎(はりさき)明神社など一〇もあった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by