日本歴史地名大系 「長承寺村」の解説 長承寺村ちようしようじむら 大阪府:堺市長承寺村[現在地名]堺市鳳南(おおとりみなみ)町一―五丁・鳳西(おおとりにし)町一丁など北王子(きたおうじ)村の南に位置する。村の東部を熊野街道が通り、集落は街道沿いに集中する。大鳥郡に属する。文安二年(一四四五)頃の和泉国寺社東寺修理奉加人交名(教王護国寺文書)の大鳥郡分のなかに「長承寺西大寺門徒七人漆佰文」とみえるが、当村名はこの長承寺に由来するか。慶長一〇年(一六〇五)和泉国絵図に「長正寺」とみえ、北王子村ほか一村と合せて高一千一九八石余。寛永末年頃の状況を記したと推定される和泉国郷村帳には野代(のだい)村と合せて六八六石余とあり、慶安四年(一六五一)和泉国郷村高辻帳では一村で記され、石高五四九石余となっている。元文年中改和泉国四郡郷村高帳では五八六石余で、以後大幅な変化はない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by