長正寺城跡(読み)ちようしようじじようあと

日本歴史地名大系 「長正寺城跡」の解説

長正寺城跡
ちようしようじじようあと

[現在地名]豊田町大字殿敷 長正司

長正司ちようしようじの北、荒神森こうじんのもりの上で標高一三〇メートル余の地にある。

豊田氏一三代種藤が築城したといわれ、「注進案」には「往古豊田何某居城にて御座候処、応永年中大内家の為に亡びし由古来より申伝候」とある。同書に「豊田右馬允鑑武が嫡子同苗民部之允滋氏、逆意起し大内家に敵せんとす」とある滋氏は豊田氏系図によれば滋武(橘氏出自)で、「豊田右馬頭 応永八巳十二月依謀反豊田村長正寺城ニ楯籠依之大内以大軍之無軍利而山口ニ退、亦翌年午正月十三日再押寄合戦滋武小勢ニ依テ籠城難叶終長正寺落城滋武父子四人共ニ討死」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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