サンスクリットSahasrabhuja-arya-avalokiteśvaraの訳で,千手千眼観自在とも,あるいは大悲観音,千臂(せんぴ)観音とも称する。変化観音の一つで,千手は慈悲の広大を,千眼は化導の智が円満自在であることを表す。衆生済度にさし伸べる無数の手をもつ観音として,7世紀ころにインドのヒンドゥー教の多面多臂像の影響をうけて成立したと考えられる。しかしインドには作例が見られず,西域,中国,日本においては雑密(ぞうみつ)時代から多くの作例を見うる。図像的には胎蔵界曼荼羅虚空蔵院中の千手観音が知られ,二十七面で四十二臂の座像で,背後に無数の小手がある。しかし通例は大手四十二臂のみとし,中には四十臂の像もある。さらに頭上の面も二十七面のほか十一面の作例も多い。各手の持物については,儀軌によって種々な異同がある。婆藪仙(ばすうせん),功徳天,さらに二十八部衆を眷属(けんぞく)として伴う場合がある。中国では敦煌より請来した絹絵中に8,9世紀の作例が数点あり,また南宋とされる永保寺本がよく知られている。日本では雑密の奈良時代よりすでに造像され,葛井寺(ふじいでら)の座像や唐招提寺の立像はいずれも乾漆造で,しかも千手を表現した大作である。平安時代以降では広隆寺像や東寺食堂像などがあり,大手四十二手に限定される。さらに平安末期には後白河院によって,蓮華王院(三十三間堂)に千体の千手観音を造像することが行われた。絵画としては平安時代末期の東京国立博物館本,日野原家本や,鎌倉時代の安楽律院本,清澄寺本などがある。これらはいずれも婆藪仙,功徳天の眷属を伴う。さらには耕三寺本,金峯山寺本などがある。
執筆者:百橋 明穂
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観音菩薩(ぼさつ)の変化(へんげ)像の一つ。サンスクリット語ではアバローキテーシュバラ・サハシュラブジャローチャナAvalokitêśvara-sahasrabhujalocana。詳しくは千手千眼(せんげん)観音という。すなわち五重二十七面の顔と一千の慈眼をもち、一千の手を動かして一切衆生(いっさいしゅじょう)を救うという大慈(だいじ)大悲の精神を具象している。観音菩薩は大きな威神力をもち世間を救済するという期待が、この千手観音像を成立させたと考えられる。その千手のうち四十二臂(ひ)には印契器杖(いんげいきじょう)を持ち、九五八臂より平掌が出て、宝剣、宝弓、数珠(じゅず)などを持っている。経典としては『千臂千眼陀羅尼(だらに)』など11種のものがあり、いかに千手観音に対する信仰が盛んであったかを示す。造像のうえでは千手ではなく、四十二手像に省略されることが多い。さらに二十八部衆という大眷属(けんぞく)を従え、これらは礼拝(らいはい)者を擁護するという。
[壬生台舜]
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千手千眼(せんげん)観世音菩薩の略称。千眼千臂(せんぴ)観世音菩薩ともいう。六観音(千手・馬頭・十一面・聖(しょう)・如意輪・准提(じゅんてい))または七観音(六観音と不空羂索(ふくうけんじゃく))の一つ。千手をもち各手に1眼がある。通例は42手に1眼と所定の器物をもち,頭上に11面・27面などをのせる像形をとる。いずれも観音の広大無辺の慈悲を象徴する。奈良唐招提寺金堂や京都蓮華王院(三十三間堂)の千手観音像が代表例。
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…古名はまたキササ,その字〈虱〉から半風子(はんぷうし)とも称する。さらにその形から千手観音という異称もあったことが横井也有の《百虫譜》などにも見え,第2次大戦後の大発生期には隠語風にホワイトチイチイと呼ばれた。ノミとシラミはともに人間に寄生して吸血し,かゆみを与えるために,よく対にして扱われるが,ノミが昆虫の中でももっとも進化したものであるのに対し,シラミはもっとも原始的な昆虫の一つである。…
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