長谷山城跡(読み)はせやまじようあと

日本歴史地名大系 「長谷山城跡」の解説

長谷山城跡
はせやまじようあと

[現在地名]揖保川町大門原

長福路ちようふくじ城ともよばれる。標高約九〇メートルの独立丘陵上に築かれ、山麓からの比高は約七〇メートル。長谷川政時が築城し、その後は広瀬氏や衛藤氏が城主となる(赤松家播備作城記)。寛文年間(一六六一―七三)に成立した諸国古城之図(浅野文庫)には長福寺ちようふくじ城とあり、城の周囲に五〇本以上の畝状空堀群が描かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

初冠,加冠,烏帽子着ともいう。男子が成人し,髪形,服装を改め,初めて冠をつける儀式。元服の時期は一定しなかったが,11歳から 17歳の間に行われた。儀式は時代,身分などによって異なり,平安時代には髪を...

元服の用語解説を読む