長谷山城跡(読み)はせやまじようあと

日本歴史地名大系 「長谷山城跡」の解説

長谷山城跡
はせやまじようあと

[現在地名]揖保川町大門原

長福路(ちようふくじ)城ともよばれる。標高約九〇メートルの独立丘陵上に築かれ、山麓からの比高は約七〇メートル。長谷川政時が築城し、その後は広瀬氏や衛藤氏が城主となる(赤松家播備作城記)。寛文年間(一六六一―七三)に成立した諸国古城之図(浅野文庫)には長福寺(ちようふくじ)城とあり、城の周囲に五〇本以上の畝状空堀群が描かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む