日本歴史地名大系 「長谷川水戸跡」の解説 長谷川水戸跡はせがわみとあと 青森県:北津軽郡市浦村十三村長谷川水戸跡[現在地名]市浦村十三 五月女萢十三(じゆうさん)湖大橋の北端から早乙女平(さおとめたい)ともよばれる五月女萢(そとめやち)原を真っすぐ北へ走る道路の東側に沿ってあり、幅約二〇メートルで約六キロあったという。東から西へ流れる唐(から)川と合流する付近が北限。薦槌(こもつち)村(現西津軽郡木造町)村長の長谷川清次郎が、明治二年(一八六九)五月大凶作から農民を救済するため、栄田(ゆうた)村(現西津軽郡森田村)山谷次郎吉の協力をえ、弘前藩知事津軽承昭の許可を受けて十三湖の水戸口変更の工事に着手した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by