日本歴史地名大系 「北津軽郡」の解説
北津軽郡
きたつがるぐん
津軽平野中央部から北、東の
現郡名は明治一一年(一八七八)郡区町村編制法により定められ、昭和二九年(一九五四)五所川原町と周辺町村との合併による市制施行により郡域は縮小、二分された。
〔原始・古代〕
郡内の遺跡は平安時代までのものを含めて七〇余ヵ所が確認されているが、うち約五〇ヵ所が縄文時代の遺跡で、中山・梵珠両山地西麓末端の台地または湖岸や自然堤防上の低地に立地する。旧石器時代の遺跡として金木町
「日本書紀」斉明天皇四年夏四月条に「齶田・渟代、二郡蝦夷」を征し、「於有間浜、召聚渡嶋蝦夷等、大饗而帰」とあり、この
〔中世〕
鎌倉時代の津軽地方の実態は不明だが、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報