日本大百科全書(ニッポニカ) 「閑隠席」の意味・わかりやすい解説
閑隠席
かんいんのせき
京都・大徳寺塔頭(たっちゅう)聚光院(じゅこういん)本堂の背後に建つ書院の中につくり込まれた茶室。玉林院の大竜和尚(おしょう)の筆録に「寛保(かんぽう)元酉(とり)年、聚光院利休居士(こじ)百五拾年忌之節、千宗左老被致寄附(きふいたされ)候茶所ニテ、朝茶湯ニ御逢被成度旨(おあいなされたきむね)」との記事がみえ、1741年(寛保1)に如心斎(じょしんさい)(表千家7世)が聚光院に「茶所」を寄付したことが知られる。この茶所が閑隠席にあたる。三畳敷、炉は上げ台目切(だいめぎり)で中柱を立てている。中柱は赤松皮付きの直材で、横木を入れ、下方を吹き抜いている。内部の構成は簡潔で、用材の取り合せは利休流らしい簡素さをみせている。窓は墨蹟窓(ぼくせきまど)と躙口(にじりぐち)上の連子窓(れんじまど)の二つしかなく、明かりが抑制された引き締まった空間を形成している。
[中村昌生]