日本歴史地名大系 「間之町村」の解説 間之町村あいのまちむら 愛知県:新城市間之町村[現在地名]新城市橋向(はしむこう) 北畑(きたばた)・南畑(みなみばた)新城町の西に続き、伊那街道を挟む。新城町が発展して西に延び、幽玄(ゆうげん)川を越えて橋向が町並をなし、さらに西方杉山(すぎやま)村・石田(いしだ)村の地内にも町並が形成されてきて、寛文三年(一六六三)それぞれの村から分村独立した。享和三年(一八〇三)の記録(新城町誌)では三四軒、一一〇人。東の新城町内の橋向と地続きであり、しばしば橋向の中と考えられたこともあるようである。村域西端北側の字北畑に曹洞宗真明山庚申(こうしん)寺がある。万治四年(一六六一)に藩主菅沼定実が武運長久を祈って江戸で庚申石仏を刻ませて、翌寛文二年庚申堂を建てて安置したものである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by