間宮庄・間宮郷(読み)まみやのしよう・まみやごう

日本歴史地名大系 「間宮庄・間宮郷」の解説

間宮庄・間宮郷
まみやのしよう・まみやごう

現函南町南西部、狩野かの川支流の大場だいば川左岸の間宮を遺称地とし、同地一帯に所在した庄園。「玉葉」文治元年(一一八五)九月二五日条に「馬宮庄」とみえる。同日条によると東国本所領復興に向けて、源頼朝は治承・寿永の内乱の初め頃に九条家領の当庄を走湯山(伊豆山神社)寄進した。そのため替地として八条院より給与された同院領肥後国豊田とよだ(現熊本市)を九条家に寄進しようとした。しかし九条兼実は、もし頼朝が豊田庄自体を給されているのならばよいが、同庄の預所職のみが頼朝に与えられたとするならば、当時右大臣の要職にあった兼実が身分と不釣合な預所となってしまい見苦しいと疑義を挟んでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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