関堀村
せきぼりむら
馬場村の北西、都幾川支流瀬戸川(中川)流域の河岸段丘・山間地に位置し、玉川領に属した。いわゆる妙覚郷八ヵ村の一つ(風土記稿)。田園簿によると田高二六石余・畑高四二石余、幕府領。ほかに紙舟役七五文が課せられていた。元禄郷帳では高九九石余、国立史料館本元禄郷帳では旗本吉良・平岡両家の相給。以後、この両家相給で幕末に至ったと思われる(「風土記稿」「郡村誌」など)。化政期の家数二〇、用水は平村地内で都幾川から取水して利用している(風土記稿)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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