日本歴史地名大系 「阿久原郷」の解説 阿久原郷あぐはらごう 埼玉県:児玉郡神泉村阿久原郷神流(かんな)川右岸、現上阿久原・下阿久原一帯に比定される。阿久原地区は古代の阿久原牧跡として県指定旧跡となっている。承平三年(九三三)四月二日の太政官符(政事要略)によると、朱雀院秩父牧が勅旨牧とされ、石田(いわた)牧(現秩父郡)とともに「児玉郡阿久原牧」の御馬を加えることが定められていることから、阿久原牧は秩父牧に含まれていたとみられる。阿久原牧と阿久原郷の関係は明確ではないが、応永二五年(一四一八)三月二八日、鎌倉公方足利持氏は安保宗繁・同満春らの訴えを受け、本庄左衛門入道らによる児玉郡阿久原郷などへの押妨を退け、下地を宗繁・満春らに沙汰付けることを横瀬美作守らに命じており(「足利持氏御判御教書」安保文書)、当時の阿久原郷は安保氏の所領であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by