阿南郷
あなみごう
「和名抄」道円本・高山寺本・東急本ともの阿南とみえる。保延五年(一一三九)八月日の平丸郡司藤原貞助田地寄進状(柞原八幡宮文書)によれば、郷内の黒田里九坪の地一町が由原宮の大般若経修理料田であった。この大般若経修理料田は長寛二年(一一六四)九月三日の由原宮宮師僧院清譲状(同文書)には賀来にあるとされているので、のちの賀来庄域の一部も当郷域であったことがわかる。現大分市賀来地区には岩御堂横穴墓群・餅田横穴墓群・井手ノ上横穴墓群や千代丸古墳・丑殿古墳などの古墳時代後期の遺跡・遺構も多く、また大分川対岸の小野鶴横穴墓群、挟間町海老毛横穴墓群などもある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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