豊後国風土記(読み)ぶんごのくにふどき

精選版 日本国語大辞典 「豊後国風土記」の意味・読み・例文・類語

ぶんごのくにふどき【豊後国風土記】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「豊後国風土記」の意味・わかりやすい解説

豊後国風土記
ぶんごのくにふどき

豊後国 (大分県) に関する古代地誌。1巻。和銅6 (713) 年の官命によってつくられた「古風土記」の一つ。現存するのは省略本とする説が多いが,記事のある地名だけを掲出し,原本の姿をほぼ伝えているとする説もある。成立霊亀1 (715) 年以降,天平 12 (740) 年頃より前と推定される。肥前および逸文の九州諸国の風土記との共通性が非常に濃く,大宰府でまとめて編纂されたと考えられ,さらに『常陸国風土記』との共通性から天平4 (732) 年西海道節度使となった藤原宇合 (うまかい) の手元で成ったと考えられている。ほぼ純粋な漢文体で記され,内容的には景行天皇関係の伝承が多く,『日本書紀』の影響がみられる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「豊後国風土記」の解説

豊後国風土記
ぶんごのくにふどき

諸国風土記の一つ。713年(和銅6)の風土記撰進により編纂された。715年(霊亀元)施行郷里制に従って記述され,軍事的な記事が多いことから,節度使(せつどし)が設置された732年(天平4)頃の成立とする説もある。国名起源を説明した後,各郡の地名起源説話が記されるが,景行天皇や神功(じんぐう)皇后巡幸と結びつけたものが多く,「日本書紀」にもとづいて述作された部分も目立つ。体裁は「肥前国風土記」と同一で,西海道諸国の風土記は大宰府で一括して作られた可能性が強い。現存諸本はいずれも抄録本である。「日本古典文学大系」所収。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「豊後国風土記」の意味・わかりやすい解説

豊後国風土記
ぶんごのくにふどき

地誌。一巻。成立については、732~759年(天平4~天平宝字3)説ほか諸説がある。『日本書紀』によったためか、近似する文章が多い。

[編集部]

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改訂新版 世界大百科事典 「豊後国風土記」の意味・わかりやすい解説

豊後国風土記 (ぶんごのくにふどき)

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