日本歴史地名大系 「阿閇城跡」の解説 阿閇城跡あえじようあと 兵庫県:加古郡阿閇城跡加古郡南部の海岸近くに所在したとみられる中世の平城。天正六年(一五七八)織田信長の播磨侵攻に伴う三木合戦では、織田方の拠点として別所重棟が守備し、三木城の別所氏を救援にきた毛利氏と雑賀衆の攻撃を受けた。この時は小寺孝高(黒田官兵衛)が救援に駆けつけ、毛利勢を撃退している(四月四日「織田信長黒印状」黒田文書)。三木合戦後は、羽柴秀吉の命により梶原(かじわら)古城(現加古川市)とともに破却された(天正八年と推定される四月二六日「羽柴秀吉播磨国中城割り覚」一柳文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報