日本歴史地名大系 「加古郡」の解説
加古郡
かこぐん
県の南中央部に位置し、東は神戸市西区・明石市、南は明石市と瀬戸内海、西は加古川市、北は加古川市・三木市に接する。近世までの当郡は播磨国の南東部に位置し、東は明石郡、西は
〔古代〕
「日本書紀」応神天皇一三年九月条の注に、数十の大鹿が海に浮び来り、播磨の水門に入った、それより鹿の着いた岸を「鹿子水門」とよぶようになった、という説話が載る。「水児船瀬」の語は「続日本紀」延暦八年(七八九)一二月八日条・同一〇年一一月六日条にみえ、古くから加古川の河口付近に湊が存在したことは明らかである。郡名説話としては「播磨国風土記」に「此の土は、丘と原野と甚広大くして、此の丘を見るに鹿児の如し」ということで賀古郡と名付けたとある。長屋王家木簡に「賀古郡貝鮓御贄六十二烈」とみえる。この木簡は霊亀年間(七一五―七一七)以前のものであろう。なお木簡ではほかに「播磨国賀古郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報