阿須那
あすな
現羽須美村の大字阿須那を遺称地とし、江川支流出羽川沿いの小盆地を中心とした大字戸河内をも含む地域に比定される。南北朝期には安須奈庄・安須那庄などとみえ、戦国期は阿須那と記される。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に邑智郡の公領として「あすな 三丁一反」とみえる。貞治二年(一三六三)正月二〇日の荒河詮長のものとみられる渡状(閥閲録)によれば、前年一一月二日の下文および同年正月一一日の奉書の旨に任せ、「安須奈庄」が君谷四郎左衛門尉祐忠に沙汰付けられている。年月日未詳の氏名未詳渡状(毛利家文書)には、貞治二年正月一一日の奉書によって「安須奈郷」が祐忠に沙汰付けられたとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
世界大百科事典(旧版)内の阿須那の言及
【羽須美[村]】より
…近世には製鉄業が盛んな地域で,現在も鉄穴流(かんなながし)やたたらの跡が数多く残っている。阿須那の賀茂神社では古くから牛馬市が開かれていたが,近世に阿須那市見世に発展し,呉服や小間物,清酒などの取引が活発であった。市見世は大正期以降衰え,昭和初期には木炭の生産が盛んであった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」