障子ヶ岳城跡(読み)しようじがだけじようあと

日本歴史地名大系 「障子ヶ岳城跡」の解説

障子ヶ岳城跡
しようじがだけじようあと

[現在地名]勝山町松田、香春町採銅所

大字松田まつだの西端、田川郡香春かわら町との境界に位置する障子ヶ岳(四二七・三メートル)山頂に築かれた中世城郭。山頂部から南北に走る尾根上に本丸・二の丸・北の丸・出丸・厩・空堀などの遺構が認められる。「豊前古城記」には建武三年(一三三六)に足利統氏が築き、その後千葉氏がいたと伝えるが不詳。長享元年(一四八七)閏一一月二日の門司国親軍忠状(門司文書)に「障子ケ岳城」とみえ、この頃大内氏によって城番が置かれていた。享禄五年(一五三二)と推定される三月八日の沼間敦定書状(萩藩閥閲録四)には長岡実勝が在城していたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む