障子谷村(読み)しようじやつむら

日本歴史地名大系 「障子谷村」の解説

障子谷村
しようじやつむら

[現在地名]富津市障子谷

きぬ村の北東に位置し、北東部に三舟みふね(一三八・七メートル)がある。ほりうち鍛冶かじやつなどの地名がある。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高二〇〇石。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数三六で、幕府領と旗本一色領。幕末も同様。明和元年(一七六四)当村の外記は朝鮮種人参製法に従事していた幕府の田村元雄より朝鮮人参の実二五粒を与えられている(「田村藍水・西湖公用日記」同年七月条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む