日本歴史地名大系 「雁林ノ丁」の解説 雁林ノ丁がんりんのちよう 福岡県:福岡市中央区福岡城下雁林ノ丁[現在地名]中央区赤坂(あかさか)一丁目・天神(てんじん)二丁目・大名(だいみよう)一―二丁目紺屋町(こうやまち)堀(中堀)の南に位置し、東西に延びる両側町。福岡博多近隣古図では「薬院雁林ノ丁」と記される武家町で、東西の長さは一一一間、東は紺屋町、南は養巴(ようは)ノ丁、西は福岡城の大(おお)堀に臨み、両堀の間を北に向かうと赤坂門に至る。町の西側角に福岡藩の藩医鶴原雁林の屋敷があったのが町名の由来という(筑前国福岡区地誌)。寛文六年(一六六六)二月、三代藩主黒田光之は長崎奉行稲生七郎右衛門の重病に際し、侍医の鷹取養巴と鶴原雁林(初名道室)を派遣して治療に当たらせた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報