新撰 芸能人物事典 明治~平成 「雲井浪子」の解説
雲井 浪子
クモイ ナミコ
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
…一方,大阪三越の少年音楽隊にヒントを得て箕面有馬(みのおありま)電気軌道株式会社(阪急電鉄の前身)の小林一三(いちぞう)が宝塚少女歌劇養成会を発足させ,14年に第1回公演を,宝塚新温泉プールを改造したパラダイス劇場で開いた。プログラムは桃太郎に取材した《ドンブラコ》《浮れ達磨(だるま)》《胡蝶(こちよう)》の3本立,第1期生には高峰妙子,雲井浪子ら16人がいた。当初の目的は宝塚のレジャー施設への客の誘致であったが,4年後には東京にも進出するようになり,帝国劇場に出演,東京でも生徒を募集して,日本舞踊を得意としのちにスターとなった天津乙女(あまつおとめ)(1905‐80)らが入団した。…
※「雲井浪子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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