雲井浪子(読み)クモイ ナミコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「雲井浪子」の解説

雲井 浪子
クモイ ナミコ


肩書
宝塚スター

本名
坪内 操(ツボウチ ミサオ)

出身地
兵庫県 洲本市

学歴
宝塚少女歌劇団卒

経歴
大正3年誕生した宝塚唱歌隊(宝塚歌劇団)の第1期生。雲井浪子の芸名桃太郎題材にした「ドンブラコ」のサル役を演じ、最年少の13歳でデビュー。娘役トップスターとして活躍したが、8年坪内逍遙の甥で養子劇作家坪内士行と19歳で結婚、引退した。

没年月日
平成15年 8月20日 (2003年)

家族
夫=坪内 士行(劇作家・舞踊評論家),長女=坪内 ミキ子(女優)

親族
義父=坪内 逍遙

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

世界大百科事典(旧版)内の雲井浪子の言及

【少女歌劇】より

…一方,大阪三越の少年音楽隊にヒントを得て箕面有馬(みのおありま)電気軌道株式会社(阪急電鉄の前身)の小林一三(いちぞう)が宝塚少女歌劇養成会を発足させ,14年に第1回公演を,宝塚新温泉プールを改造したパラダイス劇場で開いた。プログラムは桃太郎に取材した《ドンブラコ》《浮れ達磨(だるま)》《胡蝶(こちよう)》の3本立,第1期生には高峰妙子,雲井浪子ら16人がいた。当初の目的は宝塚のレジャー施設への客の誘致であったが,4年後には東京にも進出するようになり,帝国劇場に出演,東京でも生徒を募集して,日本舞踊を得意としのちにスターとなった天津乙女(あまつおとめ)(1905‐80)らが入団した。…

※「雲井浪子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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