日本大百科全書(ニッポニカ) 「青山拙斎」の意味・わかりやすい解説
青山拙斎
あおやませっさい
(1776―1843)
江戸後期の歴史学者、水戸藩士。名は延于(のぶゆき)、字(あざな)は子世(しせい)、通称は量助(量介)、号は拙斎また雲竜。家学を受け、立原翠軒(たちはらすいけん)に学ぶ。1823年(文政6)『大日本史』編集事業の責任者彰考館総裁となる。1840年(天保11)には水戸の藩校弘道館(こうどうかん)の開学に先だち、その教授頭取(総教)となり、350石を給せられ、藤田幽谷(ふじたゆうこく)らとともに藩主徳川斉昭(とくがわなりあき)の藩政改革に尽力した。天保(てんぽう)14年在職中に没した。主著に『皇朝史略』(正続)、『明徴録』『拙斎文集』などがある。
[瀬谷義彦]