青崎村(読み)あおざきむら

日本歴史地名大系 「青崎村」の解説

青崎村
あおざきむら

[現在地名]秋田市下新城青崎しもしんじようあおざき

太平たいへい山地に続く丘陵の西端にあり、東は丘陵沿いに小友おとも村に、西は水田長岡ながおか村と境する。天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡御蔵入目録写(秋田家文書)に「あを崎村」とみえ、慶長三年(一五九八)の御蔵入御物成納口之帳(秋田家文書)でも太閤蔵入地。

寛永六年(一六二九)八月、初代藩主佐竹義宣は青崎村の新開田をみて、「過分之開之所ニ、御判紙被下候をハ御覚不被成置候間」として調べさせた。さらに給人知行のうちでも新田開は必ず披露するように命じ、三年隠していれば開きはもちろん、本知行も召し放すといい渡した(「梅津政景日記」寛永八年八月六日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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