朝日日本歴史人物事典 「青木興勝」の解説
青木興勝
生年:宝暦12(1762)
江戸中期の蘭学者。福岡藩蘭学の祖。字は定遠,季方,通称次右衛門,号は五竜山人,危言狂夫。福岡藩士の子。幼少より亀井南冥に師事,藩校甘棠館の教官を務めたが,廃館(1798)後は買物奉行として長崎へ赴き,通詞にオランダ語を学ぶ。帰藩後の寛政12(1800)年に初代蘭学教授となるが,ロシア使節レザーノフ来航(1804)の際,対外強硬論を主張して藩に容れられず,隠遁した。外国貿易有害論,鎖国強化論などを展開した『答問十策』は写本で流布し,幕末の国防論に影響を与えた。ほかに『蛮人白状解』『南海紀聞』の編著があり,『南海紀聞』には直接聴取した漂流民の体験とミンダナオ,ボルネオなどの風俗,物産が生き生きと描かれている。<参考文献>杉本勲「筑前蘭学事始考―青木興勝の事歴を通じて―」(『九州文化史研究所紀要』12号)
(鳥井裕美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報