デジタル大辞泉
「市村羽左衛門」の意味・読み・例文・類語
いちむら‐うざえもん〔‐ウザヱモン〕【市村羽左衛門】
歌舞伎俳優。市村座の座元。俳優を兼ねたのは4世から。
(初世)[1605~1652]本名、村山又三郎。和泉国堺の人。江戸に村山座を創設。
(3世)[1635~1686]初めて市村宇左衛門と名のり村山座を譲り受けて、市村座と改めた。
(8世)[1698~1762]宇左衛門を羽左衛門と改める。所作事の名人。屋号、菊屋。
(13世)[1844~1903]兼ねていた座元を辞して俳優に専念。のち、5世尾上菊五郎となった。
(14世)[1848~1893]13世の弟。のち坂東家橘と改名。
(15世)[1874~1945]大正・昭和を代表する二枚目役者。生世話物の名人。屋号、橘屋。
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いちむら‐うざえもん【市村羽左衛門・市村宇左衛門】
- 歌舞伎俳優。江戸市村座の座元の名。屋号橘屋。
- [ 一 ] 初世。初世村山又三郎。市村座の前身村山座を創設。慶長一〇~承応元年(一六〇五‐五二)
- [ 二 ] 三世。市村座を創設。貞享三年(一六八六)没。
- [ 三 ] 八世。七世の弟。和事、実事のほか、所作事を得意とした。宇左衛門を羽左衛門と改名。元祿一一~宝暦一二年(一六九八‐一七六二)
- [ 四 ] 九世。八世の子。豊後節の所作事の大成者。享保一〇~天明五年(一七二五‐八五)
- [ 五 ] 一二世。江戸末期の名優。和事、実事のほか、所作事を得意とした。文化九~嘉永四年(一八一二‐五一)
- [ 六 ] 一三世。五世尾上菊五郎の前名。弘化元~明治三六年(一八四四‐一九〇三)
- [ 七 ] 一五世。本名市村録太郎。二枚目役者として有名。当たり役は、切られ与三、勘平など。明治七~昭和二〇年(一八七四‐一九四五)
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市村羽左衛門
いちむらうざえもん
歌舞伎(かぶき)俳優、座元。古くは宇左衛門の字を使う。江戸三座の一つ市村座の座元の名跡(みょうせき)で、市村座の前身村山座の座元村山又三郎(またさぶろう)と村山九郎右衛門(くろうえもん)も家系に数え、それぞれ初世、2世とするほか、市村座代々の座元も家系に数え、現在17世まである。ここでは俳優として活躍した代々をあげる。
[古井戸秀夫]
(1635―86)市村宇左衛門の初世。俳優から座元となる。続き狂言や引幕(ひきまく)、大道具、切り落しなどをくふうし、「大芝居」の元祖と称する市村座の基礎をつくる。
[古井戸秀夫]
(1654―1718)3世の甥(おい)で養子となり、初世市村竹之丞(たけのじょう)の名前で座元を継ぐ。俳優も勤め、西行(さいぎょう)を当り役としたが、のち発心(ほっしん)して剃髪(ていはつ)し、通称竹之丞寺とよばれる本所・自性院に入る。
[古井戸秀夫]
(1698―1762)市村座の茶屋菊屋善兵衛の三男。初めて羽左衛門の字を使い、俳優としても活躍し、『椀久(わんきゅう)』を家の芸とする。
[古井戸秀夫]
(1725―85)8世の子。1762年(宝暦12)座元を継ぐとともに襲名。宝暦(ほうれき)期(1751~64)の名優。豊後節浄瑠璃所作事(ぶんごぶしじょうるりしょさごと)の先駆者。2世市川団十郎の荒事(あらごと)芸の正統な継承者として、『矢の根』『暫(しばらく)』を5世団十郎に伝承した。
[古井戸秀夫]
(1812―51)11世の次男。1821年(文政4)座元を相続し、襲名。舞踊に長じ、立役(たちやく)、女方(おんながた)を兼ね、幕末期に活躍した。屋号橘屋(たちばなや)。
[古井戸秀夫]
12世の次男で、5世尾上(おのえ)菊五郎の前名。
[古井戸秀夫]
(1847―93)12世の三男で、5世菊五郎の弟。のちに初世坂東家橘(ばんどうかきつ)を名のる。
[古井戸秀夫]
(1874―1945)本名市村録太郎。14世の養子。屋号橘屋。この15世から座元ではなくなる。坂東竹松、6世市村家橘を経て、1903年(明治36)襲名。すっきりした容姿、さわやかな口跡(こうせき)、明るく闊達(かったつ)で花のある芸風は万人を魅了した。助六、『勧進帳』の富樫(とがし)をはじめ、実盛(さねもり)や盛綱などの時代狂言の捌(さば)き役や、切られ与三(よさ)、直侍(なおざむらい)のような江戸世話物の二枚目を得意とし、彼の創造した役のイメージは現代にまで伝わっている。
[古井戸秀夫]
(1905―52)本名市村勇(いさむ)。15世の養子。1947年(昭和22)襲名。立役、女方を兼ねた。
[古井戸秀夫]
(1916―2001)本名は坂東衛(まもる)。6世坂東彦三郎の子。1955年(昭和30)に襲名。菊五郎劇団の幹部として、指導的立場にあった。90年(平成2)に重要無形文化財保持者、91年に芸術院会員、99年に文化功労者となる。
[古井戸秀夫]
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市村羽左衛門 (いちむらうざえもん)
歌舞伎俳優,市村座座元。羽左衛門の代数は,市村家が興行権を得る以前の村山座座元の2代と羽左衛門の名をつがなかった座元をも加える数え方が一般に行われ,実際に羽左衛門を名のった名義代数とは相違がある。(1)初代 村山座の創始者初世村山又三郎。(2)2代 村山又三郎の婿養子村田九郎右衛門。(3)3代・名義初世(?-1686(貞享3)) 市村宇左衛門と称した。1667年(寛文7)頃村山座の興行権を譲りうけ,養子市村竹之丞を座元に立てて興行を行った。(4)4代(1654?-1718・承応3?-享保3) 初世市村竹之丞のこと。市村座は,この3代・4代の時に,三番続きの多幕物を上演(《市村座由緒書》享保10年書上)したという伝説をもち,1日制の興行をして〈大芝居〉と呼ばれたといい,興行的にも演劇的内容の上からも,大きな発展を見せたらしい。(5)5代・名義2世(?-1691(元禄4)) 1679年(延宝7)から84年(貞享1)まで座元を勤めた。(6)6代(1680-86・延宝8-貞享3) 5代の子で,7歳で没。(7)7代(1681-98・天和1-元禄11) 87年から98年(元禄11)まで座元を勤めた。(8)8代・名義3世(1698-1762・元禄11-宝暦12) 7代の弟。初名4世市村竹之丞。俳名何江。屋号菊屋。1703年に座元をつぎ,06年(宝永3)頃から子役として出演。37年(元文2)宇左衛門を襲名,48年(寛延1)〈宇〉を〈羽〉と改めた。芸域が広く,真上上吉(位付。上上吉より上位)まで進んだ。(9)9代・名義4世(1725-85・享保10-天明5) 8代の子。前名市村満蔵,市村亀蔵。俳名家橘。62年(宝暦12)座元をついだが,84年(天明4)から休座,桐座に興行権を譲った。翌年引退し,その年8月に没した。宝暦年間には上方の舞台もつとめ,役者としては所作事の名人と称された。(10)10代・名義5世(1748-99・寛延1-寛政11) 9代の子。前名市村七十郎,2世市村亀蔵。俳名亀全。85年座元を相続,羽左衛門を襲名。88年,市村座を再開場した。しかし93年(寛政5)から98年までふたたび休場した。(11)11代・名義6世(1791-1820・寛政3-文政3) 10代の養子。1800年座元をついだが,16年(文化13)から休場。(12)12代・名義7世(1812-51・文化9-嘉永4) 11代の子。前名市村亀之助。俳名家橘。家号橘屋。21年(文政4)座元をつぎ,羽左衛門を襲名,市村座を再開場した。幼年のため,福地茂兵衛が後見を勤めた。42年(天保13),天保改革の一環として猿若町へ移転。51年(嘉永4)に次男に座元を譲って隠居した。(13)13代・名義8世(1844-1903・弘化1-明治36) 5世尾上菊五郎の前名。52年から68年(明治1)まで座元を勤めた。(14)14代・名義9世(1847-93・弘化4-明治26) 12代の三男。72年(明治5),幕末からの経営不振がたたり休座。14代をもって市村座座元としての立場は失われた。(15)15代・名義10世(1874-1945・明治7-昭和20) 5歳の時先代の養子となり,81年初舞台。坂東竹松,市村家橘を経て,1903年羽左衛門をついだ。6世尾上菊五郎の写実的な演技に対し,容姿・口跡にすぐれた華麗な演技によって,大正・昭和を代表する二枚目役者となった。《近江源氏先陣館》の盛綱,《源平布引滝》の実盛などの生締(なまじめ)物,助六,与三郎などを当り役とした。6世尾上梅幸と組んで演じた世話物は,名舞台と称された。終戦まぎわ,疎開先の信州湯田中で没した。(16)16代・名義11世(1905-52・明治38-昭和27) 15代の養子。女方・二枚目などを得意とした。(17)17代・名義12世(1916-2001・大正5-平成13)6世坂東彦三郎の子として生まれた。坂東亀三郎,薪水,7世彦三郎を経て,55年羽左衛門をつぐ。6世菊五郎没後,市川左団次,尾上松緑,尾上梅幸等とともに〈尾上菊五郎劇団〉を守り,実事の地味な役柄ながら,堅実な芸と豊富な古典歌舞伎の知識によって,独特な芸風を確立した。
執筆者:近藤 瑞男
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市村 羽左衛門(15代目)
イチムラ ウザエモン
- 職業
- 歌舞伎俳優
- 肩書
- 日本俳優協会会長
- 本名
- 市村 録太郎
- 別名
- 初名=坂東 竹松,前名=市村 家橘(6代目),俳名=可江
- 屋号
- 橘屋
- 生年月日
- 明治7年 11月5日
- 出生地
- 東京府 本郷湯島(東京都 文京区)
- 経歴
- 父はフランス人将軍のル・ジャンドルで、母は越前福井藩主・松平慶永の庶子といわれる。明治11年14代目市村羽左衛門(坂東家橘)の養子となり、福岡市中洲の真砂座で修業。14年3代目坂東竹松を名乗り、新富座で初舞台を踏む。26年養父が「壇之浦兜軍記」出演中に没したため、同年7月歌舞伎座で「敵討襤褸錦」の春藤新七を務め、9代目市川団十郎、5代目尾上菊五郎、初代市川左団次(いわゆる団菊左)の口上により16代目市村家橘に改名した。青年時代は不器用な面もあり劇評家から酷評されたが、伯父である5代目菊五郎の薫陶を受けて素質が開花。36年5代目菊五郎、9代目団十郎が相次いで没する中で15代目市村羽左衛門を襲名し、歌舞伎座で「船弁慶」の静御前など6役を務めて評判となった。以後、日本人離れしたすぐれた美貌と、明快で溌剌とした口跡・台詞、天衣無縫でさっくりとした人柄が人気となり、たちまち6代目菊五郎、初代中村吉左衛門と並び団菊没後の歌舞伎界を背負う存在となった。特に6代目尾上梅幸とは名コンビを謳われ、時代物・世話物ともに秀で、「切られ与三」の与三郎、「勧進帳」の富樫左衛門、「忠臣蔵」の勘平、「助六由縁江戸桜」の花川戸助六、「石切梶原」の梶原、「直侍」「お祭り佐七」などの当たり役は“可江十二集”といわれた。他に坪内逍遙作「桐一葉」の木村長門守などといった新作でも活躍。艶福家としても知られ、家橘時代には政治家・桂太郎の妾として著名となる新橋の名妓・お鯉と結婚するなど(数年で離婚)、様々な女性と浮き名を流した。大正5年子息らと深川不動に伯父・5代目菊五郎の碑を建立。昭和3年欧米漫遊に出発、帰国後、ロンドン滞在中に見た探偵劇を松居松翁に翻案してもらい「命髪切」として上演した。戦時下においても率先して舞台を務め、日本各地や満州にも巡業。18年日本俳優協会設立に伴い、会長に就任。20年疎開先の長野県湯田中で死去した。
- 没年月日
- 昭和20年 5月6日 (1945年)
- 家族
- 妻=藤間 政弥(日本舞踊家),長女=吾妻 徳穂(日本舞踊家),養子=市村 羽左衛門(16代目),市村 吉五郎(2代目),養父=市村 羽左衛門(14代目)
- 親族
- 姪=関屋 敏子(オペラ歌手)
- 伝記
- 大向うの人々―歌舞伎座三階人情ばなし黄金期歌舞伎名優アルバム歌舞伎―研究と批評〈35〉特集 女流義太夫の世界歌右衛門の疎開小説 十五世羽左衛門 山川 静夫 著河竹 登志夫 監修,松井 俊諭 編著歌舞伎学会 編山川 静夫 著竹田 真砂子 著(発行元 講談社二玄社歌舞伎学会,雄山閣〔発売〕岩波書店集英社 ’09’06’05’03’95発行)
市村 羽左衛門(17代目)
イチムラ ウザエモン
- 職業
- 歌舞伎俳優
- 肩書
- 市村座座元,日本俳優協会会長 重要無形文化財保持者(歌舞伎立役)〔平成2年〕,日本芸術院会員〔平成3年〕
- 本名
- 坂東 衛(バンドウ マモル)
- 別名
- 初名=坂東 亀三郎(3代目),前名=坂東 薪水(7代目)(バンドウ シンスイ),坂東 彦三郎(7代目)(バンドウ ヒコサブロウ)
- 屋号
- 橘屋
- 生年月日
- 大正5年 7月11日
- 出生地
- 東京市(東京都)
- 学歴
- 根岸尋常小卒,日本俳優学校卒
- 経歴
- 父は6代目坂東彦三郎。大正10年5歳の時、3代目坂東亀三郎を名乗り帝劇の「名月八幡祭」で初舞台を踏む。昭和10年「音羽獄だんまり」で7代目坂東薪水を襲名するとともに名題に昇進。13年陸軍自動車隊に召集。17年7代目坂東彦三郎を襲名。伯父の6代目尾上菊五郎の下で修業を積み、24年菊五郎の没後、7代目尾上梅幸、2代目尾上松緑らと遺志を継ぎ、菊五郎劇団を結成。2人の副将格として劇団を率い、脇役の要として活躍した。30年10月歌舞伎座の「石切梶原」の梶原景時で17代目市村羽左衛門を襲名。平成3年1月6代目菊五郎直伝の「勧進帳」の弁慶を本公演では42年ぶりに演じ、翌月には「仮名手本忠臣蔵」の高師直と7代目大星由良助を演じるなど70歳を超えてから座頭の役を次々と務め、周囲を驚かせた。戦後歌舞伎を担った歌舞伎立役大幹部の一人。堅実な芸風で、荒事・実事・捌き役・老役・敵役と芸域が広く、古典も新作歌舞伎もこなした。63年訪韓歌舞伎に参加。平成2年人間国宝、11年文化功労者。同年肺癌の手術を乗り越え、舞台に復帰した。他の代表芸に「鈴ケ森」の幡随院長兵衛、「盛綱陣屋」の佐々木盛綱、「暫」の清原武衡、鎌倉権五郎、「馬盥」の光秀、「合邦」の合邦などがある。また、歌舞伎の故実に詳しく、“歌舞伎界の百科事典”と言われ、著書に「十七代市村羽左衛門聞書」がある。
- 受賞
- 日本芸術院賞(第40回 昭58年度)〔昭和59年〕,文化功労者〔平成11年〕 紺綬褒章,紫綬褒章〔昭和53年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和63年〕
- 没年月日
- 平成13年 7月8日 (2001年)
- 家族
- 父=坂東 彦三郎(6代目),長男=坂東 彦三郎(8代目),二男=市村 万次郎(2代目),三男=河原崎 権十郎(4代目)
- 親族
- 伯父=尾上 菊五郎(6代目)
- 伝記
- 松竹大船撮影所前松尾食堂上手な老い方―サライ・インタビュー集 橙の巻 山本 若菜 著サライ編集部 編(発行元 中央公論新社小学館 ’00’99発行)
市村 羽左衛門(16代目)
イチムラ ウザエモン
- 職業
- 歌舞伎俳優
- 本名
- 市村 勇
- 別名
- 初名=市村 竹松,前名=市村 家橘(7代目),俳名=可江
- 屋号
- 橘屋
- 生年月日
- 明治38年 1月15日
- 出生地
- 東京市築地(東京都 中央区)
- 経歴
- 15代目羽左衛門の養子で、明治43年市村竹松の名で初舞台。大正11年名題、14年7代目市村家橘。昭和22年に16代目市村羽左衛門を襲名。おっとりした2枚目で、女形もよくした。
- 没年月日
- 昭和27年 10月4日 (1952年)
- 家族
- 養父=市村 羽左衛門(15代目)
- 伝記
- 歌右衛門の疎開 山川 静夫 著(発行元 文芸春秋 ’87発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
市村 羽左衛門(17代目)
イチムラ ウザエモン
大正〜平成期の歌舞伎俳優 市村座座元;日本俳優協会会長。
- 生年
- 大正5(1916)年7月11日
- 没年
- 平成13(2001)年7月8日
- 出生地
- 東京市
- 本名
- 坂東 衛
- 別名
- 初名=坂東 亀三郎(3代目),前名=坂東 薪水(7代目)(バンドウ シンスイ),坂東 彦三郎(7代目)(バンドウ ヒコサブロウ)
- 屋号
- 橘屋
- 学歴〔年〕
- 根岸尋常小卒,日本俳優学校卒
- 主な受賞名〔年〕
- 紺綬褒章,紫綬褒章〔昭和53年〕,日本芸術院賞〔昭和58年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和63年〕,文化功労者〔平成11年〕
- 経歴
- 父は6代目坂東彦三郎。大正10年5歳の時、3代目坂東亀三郎を名乗り帝劇の「名月八幡祭」で初舞台を踏む。昭和10年「音羽獄だんまり」で7代目坂東薪水を襲名するとともに名題に昇進。17年7代目坂東彦三郎を襲名。伯父の6代目尾上菊五郎の下で修業を積み、24年菊五郎の死後、7代目尾上梅幸、2代目尾上松緑らと共に遺志を継ぎ、菊五郎劇団を結成。2人の副将格として劇団を率い、脇役の要として活躍した。30年10月歌舞伎座の「石切梶原」の梶原景時で17代市村羽左衛門を襲名。平成3年1月6代目菊五郎直伝の「勧進帳」の弁慶を本公演では42年ぶりに演じ、翌月には「仮名手本忠臣蔵」の高師直と7代目大星由良助を演じるなど70歳を超えてから座頭の役を次々と務め、周囲を驚かせた。戦後歌舞伎を担った歌舞伎立役大幹部の一人。堅実な芸風で、荒事・実事・捌き役・老役・敵役と芸域が広く、古典も新作歌舞伎もこなした。平成2年人間国宝、11年文化功労者。同年肺癌の手術を乗り越え、舞台に復帰した。他の代表的な舞台に「馬盥(ばたらい)」の光秀、「合邦(がっぽう)」の合邦などがある。また、歌舞伎の故実に詳しく、“歌舞伎界の百科事典”と言われ、著書に「十七代市村羽左衛門聞書」がある。
市村 羽左衛門(15代目)
イチムラ ウザエモン
明治〜昭和期の歌舞伎俳優 日本俳優協会会長。
- 生年
- 明治7年11月5日(1874年)
- 没年
- 昭和20(1945)年5月6日
- 出生地
- 東京府本郷湯島(現・東京都文京区)
- 本名
- 市村 録太郎
- 別名
- 初名=坂東 竹松,前名=市村 家橘(6代目),俳名=可江
- 屋号
- 橘屋
- 経歴
- 明治11年14代目市村羽左衛門の養子となる。福岡市中洲の真砂座で修業し、14年坂東竹松の名で初舞台。26年6代目家橘を継ぎ、36年15代目市村羽左衛門を襲名した。実父は明治政府の高級お雇い外国人で仏系米人のチャールズ・リゼンドルといわれ、美男で地芸と声に優れ、世話物に人気があった。6代目尾上梅幸と名コンビを組み、「かさね」の与右衛門、「切られ与三」の与三郎、「勧進帳」の富樫左衛門などを当たり役とした。晩年は日本俳優協会会長も務めた。
市村 羽左衛門(16代目)
イチムラ ウザエモン
明治〜昭和期の歌舞伎俳優
- 生年
- 明治38(1905)年1月15日
- 没年
- 昭和27(1952)年10月4日
- 出生地
- 東京市築地(現・東京都中央区)
- 本名
- 市村 勇
- 別名
- 初名=市村 竹松,前名=市村 家橘(7代目),俳名=可江
- 屋号
- 橘屋
- 経歴
- 15代目羽左衛門の養子で、明治43年市村竹松の名で初舞台。大正11年名題、14年7代目市村家橘。昭和22年に16代目市村羽左衛門を襲名。おっとりした2枚目で、女形もよくした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
百科事典マイペディア
「市村羽左衛門」の意味・わかりやすい解説
市村羽左衛門【いちむらうざえもん】
歌舞伎俳優。江戸市村座の前身である村山座の開祖村山又三郎を初世として,17世まで続く。屋号は橘(たちばな)屋。7世までは宇左衛門と書いた。14世までは市村座の座元であったが俳優を兼ねることも多く,8世,9世,12世などが知られた。13世は後の5世尾上菊五郎。その弟が14世。15世〔1874-1945〕は14世の養子。容姿と声が美しく,明快な芸風で知られ,二枚目専門で人気があった。当り役は石切梶原,切られ与三,弁天小僧など。17世〔1916-2001〕は6世坂東彦三郎の子,6世菊五郎の甥(おい)で,1955年襲名。1990年人間国宝,1999年文化功労者。
→関連項目橘屋
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市村羽左衛門(9代)
没年:天明5.8.25(1785.9.28)
生年:享保10(1725)
江戸中期の歌舞伎役者,市村座の座元。俳名家橘,屋号菊屋。市村家は,中村勘三郎家,森田勘弥家と共に代々座元を世襲,公許の興行権と劇場を所有して役者たちの掌握をも行っていた。9代目というのは,市村家に興行権を譲った村山家を含めての代数で,市村家としては7代目。また羽(宇)左衛門という名義としては4代目に当たる。亀蔵の名で享保16(1731)年初舞台を踏む。宝暦12(1762)年,父8代目羽左衛門が没したため,襲名して跡を継いだ。しかし,天明4(1784)年,かさんだ借金のため市村座は興行不能となり,桐長桐を座元とする桐座に興行権を譲った。羽左衛門自身は翌年中村座で一世一代(引退興行)を勤め,その年没した。役者としては特に所作事に長じ,変化舞踊の名手として知られる。『芝居乗合話』(2代目中村重助著,寛政年間)によれば,大変覚えが悪かったが本番になるとすばらしかったという。<参考文献>国立劇場芸能調査室編『東都劇場沿革誌料』(歌舞伎資料選書6巻),『日本庶民文化史料集成』6巻
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
市村羽左衛門(8世)
いちむらうざえもん[はっせい]
[生]元禄11(1698)
[没]宝暦12(1762)
江戸市村座の座元で歌舞伎俳優。実際最初に市村羽左衛門 (当時は宇左衛門) を名のったのは3世座元で,8世左衛門は4世座元に続き,名義3世にあたる。屋号橘屋。7世市村宇左衛門の弟。元文2 (1737) 年8世宇左衛門を襲名。顔立ちも姿もよいうえに,女方から敵役まで芸域が広く,特に和実を得意とした。寛延1 (1748) 年名義を宇左衛門から羽左衛門と改めた。
市村羽左衛門(15世)
いちむらうざえもん[じゅうごせい]
[生]1874.11.5.
[没]1945.5.6.
歌舞伎俳優。屋号橘屋。 14世市村羽左衛門の養子。本名録太郎。 1903年 15世襲名。風姿容貌にすぐれたうえ,さわやかなせりふ回しで,二枚目役者として終始し,大正・昭和期の代表的俳優。『仮名手本忠臣蔵』の由良之助,『切られ与三』,白井権八などがおもな当り役。
市村羽左衛門(17世)
いちむらうざえもん[じゅうななせい]
[生]1916.7.11. 東京
[没]2001.7.8. 東京
歌舞伎俳優。屋号橘屋。6世坂東彦三郎の子。本名坂東衛 (まもる) 。 1955年7世彦三郎から襲名。堅実な芸風で,故実にも詳しく,尾上菊五郎劇団の重鎮。 90年重要無形文化財保持者に認定,91年に日本芸術院会員となった。
市村羽左衛門(9世)
いちむらうざえもん[きゅうせい]
[生]享保9(1724)
[没]天明5(1785)
江戸市村座の座元で歌舞伎俳優。屋号橘屋。8世市村羽左衛門の子。宝暦 12 (1762) 年座元を継ぎ,9世を襲名。荒事や和事にもよかったが,特に所作事にすぐれた。
市村羽左衛門(12世)
いちむらうざえもん[じゅうにせい]
[生]文化9(1812)
[没]嘉永4(1851)
江戸市村座の座元で歌舞伎俳優。屋号橘屋。 11世市村羽左衛門の子。文政4 (1821) 年座元を継ぎ,12世を襲名。上品でやさしい容貌で幕末期に名声高く,和事や実事を得意とした。
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市村羽左衛門(12代) いちむら-うざえもん
1812-1851 江戸時代後期の歌舞伎役者,座元。
文化9年生まれ。11代市村羽左衛門の次男。文政元年子役で初舞台。4年12代を襲名(名義7代目),江戸市村座の座元10代をつぎ,同座を再興。天保(てんぽう)13年座を猿若町にうつす。所作事(しょさごと)が当たり芸で,和事(わごと),実事(じつごと)にすぐれた。嘉永(かえい)4年8月20日死去。40歳。後名は市村竹之丞(5代)。俳名は家橘(かきつ)。屋号は橘(たちばな)屋。
市村羽左衛門(10代) いちむら-うざえもん
1748-1799 江戸時代中期の歌舞伎役者,座元。
寛延元年生まれ。9代市村羽左衛門の子。天明5年10代を襲名(名義5代目),江戸市村座の座元8代をつぐ。8年桐(きり)座から興行権を回復し市村座を復活。役者としては若衆方から立役(たちやく)となる。寛政5年財政難から座を休場し,引退。寛政11年2月15日死去。52歳。初名は市村七十郎。前名は市村亀蔵(2代),家橘(かきつ)(2代)。俳名は亀全。
市村羽左衛門(17代) いちむら-うざえもん
1916-2001 大正-平成時代の歌舞伎役者。
大正5年7月11日生まれ。6代坂東彦三郎の長男。大正10年初舞台。昭和30年17代市村羽左衛門を襲名。彦三郎(7代)時代から尾上菊五郎劇団の中軸として活躍。59年芸術院賞。平成2年人間国宝,3年芸術院会員,11年文化功労者。平成13年7月8日死去。84歳。東京出身。日本俳優学校卒。本名は坂東衛。初名は坂東亀三郎(3代)。屋号は橘屋(たちばなや)。
市村羽左衛門(8代) いちむら-うざえもん
1698-1762 江戸時代中期の歌舞伎座元,役者。
元禄(げんろく)11年生まれ。7代市村宇左衛門の弟。元禄16年江戸市村座の座元6代をつぐ。子役で舞台に出,元文2年8代宇左衛門を襲名(名義3代目)。寛延元年羽左衛門と改名。若衆方,女方,立役(たちやく),さらに敵役まで,ひろい芸域をこなした。宝暦12年5月5日死去。65歳。初名は市村竹之丞(4代)。俳名は河江,橘中庵。屋号は菊屋。
市村羽左衛門(9代) いちむら-うざえもん
1725-1785 江戸時代中期の歌舞伎役者,座元。
享保(きょうほう)10年生まれ。8代市村羽左衛門の子。宝暦12年9代を襲名(名義4代目),江戸市村座の座元7代をつぐ。同座は借財がつもり天明4年に休座,興行権を桐(きり)座にゆずる。所作事(しょさごと)の名手といわれた。天明5年8月25日死去。61歳。初名は市村満蔵。前名は市村亀蔵(初代)。俳名は家橘(かきつ)。屋号は菊屋。
市村羽左衛門(14代) いちむら-うざえもん
1848*-1893 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
弘化(こうか)4年12月18日生まれ。12代市村羽左衛門の3男。5代尾上(おのえ)菊五郎の弟。嘉永(かえい)4年に初舞台。慶応4年江戸市村座の座元となって14代を襲名。明治5年座を手ばなし,坂東家橘(ばんどう-かきつ)を名のった。明治26年3月18日死去。47歳。江戸出身。前名は市村竹松。屋号は橘屋。
市村羽左衛門(15代) いちむら-うざえもん
1874-1945 明治-昭和時代前期の歌舞伎役者。
明治7年11月5日生まれ。14代市村羽左衛門の養子。明治14年初舞台。36年歌舞伎座で15代を襲名。さわやかな口跡とすぐれた容姿で人気を得,6代尾上梅幸との「切られ与三」などは名舞台として知られる。昭和20年5月6日死去。72歳。東京出身。本名は録太郎。前名は市村家橘(かきつ)(6代)。俳名は可江。屋号は橘屋。
市村羽左衛門(16代) いちむら-うざえもん
1905-1952 明治-昭和時代の歌舞伎役者。
明治38年1月15日生まれ。15代市村羽左衛門の養子。明治43年初舞台。大正11年名題(なだい)にすすむ。昭和22年16代を襲名。品格のある演技で女方や和事を得意とした。昭和27年10月2日死去。47歳。東京出身。本名は勇。前名は市村家橘(かきつ)(7代)。俳名は可江。屋号は橘屋。
市村羽左衛門(11代) いちむら-うざえもん
1791-1820 江戸時代後期の歌舞伎座元。
寛政3年生まれ。10代市村羽左衛門の養子。寛政12年江戸市村座の座元9代をつぎ,11代羽左衛門を襲名(名義6代目)。借財のため,興行権を桐(きり)座にゆずる。文政3年7月11日死去。30歳。俳名は家橘(かきつ)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
市村羽左衛門(14代目) (いちむらうざえもん)
生年月日:1848年12月18日
江戸時代末期;明治時代の歌舞伎役者;歌舞伎座本
1893年没
市村 羽左衛門(16代目) (いちむら うざえもん)
生年月日:1905年1月15日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1952年没
市村 羽左衛門(17代目) (いちむら うざえもん)
生年月日:1916年7月11日
大正時代-平成時代の歌舞伎役者
2001年没
市村 羽左衛門(15代目) (いちむら うざえもん)
生年月日:1874年11月5日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1945年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の市村羽左衛門の言及
【所作事】より
…振事は,歌舞伎舞踊の動きが物真似的な〈振り〉にあることから,また景事はとくに上方で,道行の景色を舞うことからいう。享保から宝暦期(1716‐64)に初世瀬川菊之丞,初世中村富十郎によって女方芸として洗練され,安永・天明期(1772‐89)には9世市村羽左衛門,初世中村仲蔵ら立役が進出し浄瑠璃所作事の隆盛をみ,また文化・文政期(1804‐30)に至って〈兼ねる〉役者の3世坂東三津五郎,3世中村歌右衛門らがいくつもの役柄を続けて踊る[変化(へんげ)物]を流行させた。所作事の上演には,花道,本舞台に所作舞台を敷き,出語り,出囃子となることがある。…
【長唄】より
…明和期(1764‐72)になると,一中節の太夫から転向した初世[富士田吉次](治)によって長唄に浄瑠璃の曲節を加えた唄浄瑠璃(例《吉原雀(よしわらすずめ)》《安宅松(あたかのまつ)》)が創始されたり,[大薩摩節](おおざつまぶし)との掛合(《鞭桜宇佐幣(むちざくらうさのみてぐら)》)も開始されて,長唄に新機軸を生みだした。また,この時期には9代目[市村羽左衛門]など立役(男役)にも舞踊の名手が現れ,舞踊は女形の独占芸という慣行が打破された結果,男性的な曲も生まれた。前述の《安宅松》《鞭桜宇佐幣》はその例である。…
【襲名】より
…歌舞伎俳優の襲名は,1人の俳優が年齢や技芸の成長にともない,生涯のうちにいくつもの名前を次々と襲い改名する点に特色がみられる。たとえば17世[市村羽左衛門]の場合は,最初3世坂東亀三郎を襲名して初舞台を踏み,以後7世坂東薪水(しんすい),7世坂東彦三郎を経て17世市村羽左衛門を襲名した。名跡(みようせき)は,家柄の権威や伝統,俳優としての〈格〉などによって,おのずから順位が定まっていて,俳優がある節目を迎えたときにそれぞれ段階の上位にランクされている名前を襲名することになる。…
【興行】より
… 江戸時代に入ると歌舞伎や人形浄瑠璃の興行は,江戸でも上方でも共通に幕府から興行権を与えられたもののみが行うことができるというきびしい仕組であった。江戸を例にすると[宮地芝居]を別として,歌舞伎では1714年(正徳4)9月以降幕末まで中村座の中村勘三郎,市村座の市村羽左衛門,森田座の森田勘弥の3人の座元に限って,歌舞伎を興行する権利が官許され,興行権の象徴である〈[櫓](やぐら)〉をあげることができた。この3座を〈江戸三座〉と呼んでいる。…
【座元(座本)】より
…57年(明暦3)の江戸大火後,中村勘三郎,市村宇(羽)左衛門,森田勘弥,山村長太夫の4人に限り座元として興行することが許されたが,1714年(正徳4)の江島生島事件で山村長太夫が官許を取り消され,山村座は廃絶した。以来,中村座の中村勘三郎,市村座の市村羽左衛門,森田座の森田勘弥の3座の座元に限って幕府は興行権を与え,その世襲を制度として公認した。座元は金主から資金の提供を受けて役者の座組をつくり,興行上の一切の責任を負った。…
※「市村羽左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」