…荘園にまつわる裁判に,一人理を主張して執権の威をはばからず,執権の敗訴を裁定したこと,鎌倉の滑川(なめりかわ)に銭10文を落とし,50文のたいまつを求めてこれを探し,天下の利とした逸話など,《太平記》巻三十五によって名高く,名裁判官としての伝承は,江戸期にも語りつがれ,《鎌倉比事》(月尋堂著の浮世草子,1708刊)など,北条執権の裁判に仮託した物語に書きつがれた。曲亭馬琴作の読本《青砥藤綱模稜案(もりようあん)》(1811‐12刊)は,藤綱の名を借り,和漢の公事訴訟譚を基礎に推理小説風の展開で作品化,これには大岡裁きに共通する説話をも含む。歌舞伎では1852年(嘉永5)7月江戸市村座初演《名誉仁政録》(3世桜田治助作)や,前記《模稜案》の脚色作である1846年(弘化3)7月市村座初演《青砥稿(ぞうし)》(3世桜田治助作),また62年(文久2)3月市村座初演《青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)》(河竹黙阿弥作)などに登場,ある場合には大岡越前守の名をはばかって藤綱とすることもあったが,いずれにせよ事件の善悪理非を判断する〈さばき役〉として大団円に登場,また浄瑠璃《摂州合邦辻(せつしゆうがつポうがつじ)》(1773初演)の合邦が藤綱の子として描かれるなど,藤綱は庶民の守護神的性格を具備した為政者として理想化された。…
…同じ題名で,寛永年間(1624‐44)に5巻本で刊行,最初の裁判小説として好評を博し,多大の影響を与えた。井原西鶴の《本朝桜陰比事》をはじめ,月尋堂の《鎌倉比事》,作者不明の《日本桃陰比事》と続き,曲亭馬琴の《青砥藤綱模稜案》,講談本の《大岡政談》を生むきっかけとなった。日本の探偵小説の祖ともいうべきものである。…
※「青砥藤綱模稜案」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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