読本(読み)ヨミホン

デジタル大辞泉 「読本」の意味・読み・例文・類語

よみ‐ほん【読本】

江戸時代の小説の一種。絵を主とした草双紙に対して、読むことを主体とした本の意。寛延・宝暦(1748~1764)のころに上方かみがたに始まり、文化・文政期(1804~1830)に江戸を中心に流行した。空想的、伝奇的な要素が強く、因果応報勧善懲悪の思想などを内容とする。和漢混交雅俗折衷の文体で書かれ、体裁は半紙本が多い。上方中心の前期は上田秋成建部綾足たけべあやたりら、江戸中心の後期は山東京伝曲亭馬琴らが代表的作者で、「雨月物語」「南総里見八犬伝」などが著名。
古文書をわかりやすく現代の文字に直したもの。

とく‐ほん【読本】

太平洋戦争前まで小学校で国語の授業に使用した教科書。また一般に、教科書のこと。
読みやすいようにやさしく書かれた入門書や解説書。「文章読本
[類語]教科書教本テキスト

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精選版 日本国語大辞典 「読本」の意味・読み・例文・類語

よみ‐ほん【読本】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 読み習うべき書物。とくほん。
    1. [初出の実例]「我読本(ヨミボン)前に在故に、頭を低て見ると思て覚ぬ」(出典:寤寐集(1626頃))
  3. 江戸後期の小説の一様式。絵を主にした草双紙類に比して挿絵が少なく、読むことを主体にした本の意で、広義には八文字屋の浮世草子や滑稽本・人情本をも含めていったが、文学史上では、寛延・宝暦(一七四八‐六四)の頃、上方におこり、寛政の改革以後江戸で流行し、天保(一八三〇‐四四)頃まで続いた小説をさす。中国小説の影響を強く受け、怪異性や伝奇性が濃く、漢文調・擬古的文章で表現する点に特色がある。上方の都賀庭鐘(つがていしょう)・上田秋成、江戸の山東京伝・滝沢馬琴などが代表的な作家である。
    1. [初出の実例]「近年よみ本高まん自慢、粋知り類」(出典:談義本・穴意探(1770)序)
  4. 古写本や古文書をわかりやすく現代の文字に書きかえたもの。翻字したもの。また、その本。
  5. よみもの(読物)
    1. [初出の実例]「先祖の話といふやうな平易な読み本が」(出典:先祖の話(1946)〈柳田国男〉自序)

とく‐ほん【読本】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「とく」は「読」の漢音 ) 読み、習うための書物。特に、「小学読本」と総称される国語教科書をさしていい、さらに、教科書一般をさしていう場合もある。
    1. [初出の実例]「わたくしは、とくほんの一をよんでゐます」(出典:幼学読本(1887)〈西邨貞〉一)

読本の補助注記

「読書」「読者」など、呉音読みの「どく」が一般的になったため、「読本」も近年、「どくほん」とも読まれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「読本」の意味・わかりやすい解説

読本
よみほん

江戸時代の小説の一様式。書型は大本(おおほん)(美濃紙(みのがみ)二つ折りの大きさ)、半紙本(はんしぼん)(半紙二つ折りの大きさ)、中本(ちゅうほん)(美濃紙四半截(せつ)の大きさ)の3種があるが、半紙本が主流。挿絵が他の小説様式よりも少なく、文字を読む比重が大きいところから読本という。歴史に題材をとり、筋の展開のおもしろみを意図したうえで勧善懲悪・因果応報思想をもってこれを統一し、主題を明確にたて、合間には和漢の書籍に基づく議論や知識を開陳し、人情描写にも配慮し、硬質な和漢混淆(こんこう)文でつづる。中国の小説の様式や筋・趣向を学び取ることによって生まれた、近世ではもっとも知的で近代小説に近づいた小説である。

[徳田 武]

発生

近世前期の元禄(げんろく)(1688~1704)から享保(きょうほう)(1716~1736)にかけて、中国の長編講史(歴史)小説を翻訳した通俗軍談が続出した。『李卓吾先生批評―三国志』の忠実な翻訳『通俗三国志』(1689~1692刊)はその有名なものである。これらの軍談のうちには『新刊―大宋(そう)中興通俗演義』を翻訳しつつ、その間に翻案をも交えた『通俗両国志』(1721刊)のごとき作品があるが、その翻案法には後期の長編読本に通じるものがあり、また実際に読本に多くの影響を与えた。そこで、通俗軍談が読本の主要な源流であるといえる。このほかに『前(ぜん)太平記』(1681ころ成立)のごとき日本の戦乱を虚構化した近世軍記、『勧善桜姫伝』のごとき僧侶(そうりょ)の説法の種本を読物化した仏教長編勧化物、『殺報転輪記』のごとき実際の事件を虚構化して写本で読まれた実録物も、それぞれ読本の源流を形成している。これらの源流を摂取し、「三言二拍」などの中国白話小説を翻案して造本・内容ともに典型的な読本としての様式を初めて確立した作品が都賀庭鐘(つがていしょう)の『英(はなぶさ)草紙』(1749刊)である。これは9話の短編を収めるが、以後、寛政(かんせい)(1789~1801)ころまでは同様な短編集が主として上方(かみがた)で多作され、上田秋成(あきなり)の『雨月(うげつ)物語』(1776刊)は、それらのうちの白眉(はくび)とされる。

 一方、中国の一大雄編『水滸(すいこ)伝』の建築的な構成と精妙な人間像の描き分けに刺激されて、『湘中(しょうちゅう)八雄伝』(1768刊)、『本朝水滸伝』(1773刊)などの水滸翻案物も相前後して続出し、それら長編読本の伝統を踏まえて、のちには曲亭馬琴(ばきん)の『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』という大作が完成される。しかし、これら前期の作品はなお多く知識人の遊戯であった。

[徳田 武]

展開

寛政の改革のころから江戸にも出版形態が確立し、現実の世相の描写を抑圧された職業的戯作(げさく)者が、直接に現実を描かなくてもすむ読本を執筆するようになる。山東京伝(さんとうきょうでん)の『忠臣水滸伝』(1799、1801刊)は、『仮名手本忠臣蔵』という演劇の世界に『水滸伝』の趣向を撮合(さつごう)した長編で、造本や挿絵にも技巧を凝らした、江戸読本の典型を打ち出す。その弟子筋にあたる曲亭馬琴も、それより早く、中本ではあるが『高尾船字文(たかおせんじもん)』(1795刊)を著し、以後2人は競作する形で江戸読本を多作するが、中国白話小説を勉強して筆力旺盛(おうせい)な馬琴が主導権を握り、日本化した『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』『朝夷巡島記(あさひなしまめぐりのき)』『近世説美少年録(きんせせつびしょうねんろく)』『開巻驚奇―侠客(きょうかく)伝』などの本格的な演義体小説を創出した。柳亭種彦(りゅうていたねひこ)、式亭三馬(しきていさんば)、為永春水(ためながしゅんすい)らも読本を著すが、いずれもその資質にはあわず、上方にも速水春暁斎(はやみしゅんぎょうさい)などが多作するが、主導権を上方に取り戻すには至らなかった。

[徳田 武]

影響

1885年(明治18)に坪内逍遙(しょうよう)が『小説神髄』で『八犬伝』の勧善懲悪を否定してより、読本の影響力は弱まるが、なおも明治30年代まで盛んに読まれ、実は馬琴通の逍遙や幸田露伴(ろはん)などが続作ともいうべき作品を著した。

[徳田 武]


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改訂新版 世界大百科事典 「読本」の意味・わかりやすい解説

読本 (よみほん)

江戸中・後期の代表的な小説ジャンルの名称。絵本など〈見る〉本に対して,文章を〈読む〉本という素朴な区分法に発する呼称だが,江戸中期の小説ジャンルの分化にともない,特定の小説様式の形態,概念を総称する名称となった。半紙本5冊1セットの短編物,あるいはそのセットを積みかさねた長編物の形で行われるのを普通とし,内容的には,時代物であることと,物語のなかに幻想,怪異,奇瑞,伝奇など珍奇幻怪な説話的要素を盛り込むことを常とした。また荘重で格調の高い知的な文章が尊重され,音読など耳によって享受する読者への配慮もあって,独自な和漢混淆,雅俗折衷の文体を発達させた。しかし,この読本も18世紀中ごろの前期読本と,19世紀以降の後期読本では大きく性格を異にしており,別個に論じられるのが通常である。

 江戸中期の《英(はなぶさ)草紙》(1749),《繁野話(しげしげやわ)》(1766),《西山物語》(1768),《雨月物語》(1776)などを代表作とする前期読本は,短編読本であり,中国白話小説の翻案を中心にしつつ,内外の古典や先行文献を縦横に駆使し,新奇な物語のなかに道徳論や史論など衒学的な評論をまじえた,新しい小説技法を開拓し,従来にない斬新な文体の創造とあいまって,江戸期幻想小説の基本様式を形成した。都賀庭鐘,建部綾足,上田秋成,伊丹椿園ら主要作者は,いずれも上方のすぐれた文人であった。こうして開拓された小説技法,すなわち,典拠として中国小説を多用し,かたわら日本の古典,俗史書,伝説地誌,先行芸能などを素材として摂合し,ないまぜ,それらの〈引用〉を,別途に新たな趣向によって総体として組み立てるという方法が,読本の小説技法の基本原則となり,後期読本にも引き継がれた。

 19世紀に入り,江戸を中心に盛行した後期読本は,《桜姫全伝曙草紙》(1806),《飛弾匠物語》(1808),《三七全伝南柯夢(さんしちぜんでんなんかのゆめ)》(1808),《椿説弓張月》(1807-11),《南総里見八犬伝》(1814-42)などの代表作にみられるように,その伝奇的長編性を特色とし,総冊数が数十冊をこえることも少なくなく,〈稗史(はいし)小説〉とも呼ばれた。その技法も構想,構成の面で新しく展開し,〈勧善懲悪〉の理念を小説原理としてかかげ,仏教的因果観を物語の構想に援用し,伝説的な英雄,豪傑,才士,佳人らに配するに超人的な怪人,魔怪をもってし,善悪黒白あい乱れ葛藤しつつ大団円を結ぶという,娯楽性ゆたかな伝奇長編小説としての性格が著しい。山東京伝,曲亭馬琴,石川六樹園(石川雅望)らの代表的作者たちは,いずれも高度な小説技法に熟達した専門家(戯作者)たちであった。後期読本では,その伝奇性に新趣向が競われた結果として,強悪,残忍,殺伐,怪奇な作風も少なくなかったが,一方ではファンタジックで伝奇的な独自な物語世界の中で,道義,人情,理想,自己犠牲,正義がつよく希求されており,江戸期民衆の英雄,救世主待望の心理にこたえる数々の傑作を生んだ。この独自な伝奇的小説世界を,近代文学の評価基準で裁断するのは失当というべきである。
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百科事典マイペディア 「読本」の意味・わかりやすい解説

読本【よみほん】

江戸中・後期の小説の一形態。もともとは〈見る〉本に対して〈読む〉本ということで,さし絵が主眼の草双紙に対する呼称だったが,小説ジャンルの分化にともない,より限定された小説形態をさすようになった。内容的には時代物で,中国小説の翻案から発し,多く流麗な和漢混淆(こんこう)文で書かれた。前期は寛延〜安永年間(1749年―1780年ころ)で,上方中心に盛行,怪談・巷説物が多い。後期は文化〜天保年間(1805年―1840年ころ)で,江戸中心に盛行,敵討・御家騒動・英雄伝物が多い。儒教的・仏教的な因果応報や勧善懲悪思想を底流にもつ。代表作家は都賀庭鐘(つがていしょう),上田秋成曲亭馬琴山東京伝など。
→関連項目雨月物語(文学)江戸文学擬古物語今古奇観戯作鈴木重三建部綾足椿説弓張月南総里見八犬伝西山物語英草紙文化文政時代本地物李漁柳亭種彦

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「読本」の意味・わかりやすい解説

読本
よみほん

江戸時代の小説の一種。絵を中心とする草双紙に対して「文を読む本」という意。前期読本と後期読本とに分けられる。前期読本は,寛延~天明 (1748~89) 期に上方で行われたもので,中国の白話小説の翻案小説。和漢混交文や雅文で書かれ,短編が多い。享保 13 (28) 年岡島冠山が『水滸伝』を翻訳したのを契機に白話小説の翻訳,翻案が流行,寛延2 (49) 年都賀 (つが) 庭鐘の『英草紙 (はなぶさぞうし) 』によって読本の型が成った。雅文調の読本文体を定着させた建部 (たけべ) 綾足の『本朝水滸伝』,雅文小説の完成をみせて前期読本の最後を飾った上田秋成の『雨月物語』などがある。後期読本は,江戸を中心として,文化・文政・天保 (1804~44) 期に全盛を誇った伝奇小説。初めは大衆的な中本形読本が流行したが,やがて滝沢馬琴が現れ,儒教的な勧善懲悪思想と仏教的な因果応報思想をあわせもった長編を開花させた。山東京伝の『桜姫全伝曙草紙』『昔話稲妻表紙 (むかしかたりいなづまびょうし) 』,馬琴の『椿説弓張月 (ちんせつゆみはりづき) 』『南総里見八犬伝』などに代表される。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「読本」の解説

読本
よみほん

近世小説の一様式。通例,上方を中心とする前期読本と,江戸を中心とする後期読本にわける。後期の読本のうち江戸で出版されたものを,とくに江戸読本ということもある。浮世草子の衰退期に構成・表現・文体などに中国白話小説の影響をうけて成立。1749年(寛延2)刊行の都賀庭鐘作「英(はなぶさ)草紙」にはじまる。前期の傑作に76年(安永5)刊行の上田秋成作「雨月物語」がある。1799年(寛政11)刊行の山東京伝作「忠臣水滸伝」の成功は,この分野への出版書肆の積極的参入をもたらし,江戸で読本という分野があらためて成立する。曲亭馬琴作「南総里見八犬伝」は江戸読本の代表作。

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旺文社日本史事典 三訂版 「読本」の解説

読本
よみほん

江戸中・後期,宝暦(1751〜64)前後から現れた小説の一形態
絵を主とした草双紙・絵草紙に対して,文を読むことを主とした本の呼称。前期読本の流行は京坂を中心とし,上田秋成の『雨月物語』など。化政期(1804〜30)には江戸読本の全盛を迎え,山東京伝の『昔話稲妻表紙』,滝沢馬琴の『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』など勧善懲悪を主張したものが多い。

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世界大百科事典(旧版)内の読本の言及

【江戸文学】より

…それが談義本から洒落本滑稽本黄表紙といった,いわゆる江戸戯作の流れである。一方同じく享保ころから生じたきわめて知的で文芸性に富む創作の一分野に,初め上方で出発した読本(よみほん)と称するものがある。中華趣味のまんえんによる中国俗語小説の日本化ともいうべきもので,上方では上田秋成などをその掉尾(とうび)とするが,その後これも江戸に移り,曲亭馬琴によって大成された。…

【戯作】より

…江戸中期に知識人の余技として作られはじめた新しい俗文芸をいう。具体的には享保(1716‐36)以降に興った談義本洒落本(しやれぼん)や読本黄表紙,さらに寛政(1789‐1801)を過ぎて滑稽本(こつけいぼん),人情本合巻(ごうかん)などを派生して盛行するそのすべてをいう。またその作者を戯作者と称する。…

【小説】より

…いわゆる三言二拍から抄訳した岡白駒の《小説精言》(1743),《小説奇言》(1753),沢田一斎の《小説粋言》(1758)の刊行は,〈小説〉という言葉を読書人のあいだに定着させた。近世後期に登場した読本(よみほん)のジャンルは,都賀(つが)庭鐘の《英草紙(はなぶさぞうし)》(1749)にはじまり,建部(たけべ)綾足,上田秋成,山東京伝,曲亭馬琴らの作家を輩出するが,彼らが翻案の材源,ないしは創作の規範として求めたのは,明・清の白話小説であった。読本は国字の〈小説〉だったのである。…

【水滸伝物】より

…西鶴の《好色一代男》に始まる浮世草子は,八文字屋本の末期に至ると当初の活力を失い類型的な気質(かたぎ)物の範疇から抜け出すことができず,沈滞し衰微するばかりであった。読書界は新風を待つこと久しかったが,18世紀中ごろ,浮世草子には見られなかった思想性,伝奇性,歴史性を持ち,和漢雅俗折衷の文体を用いる読本(よみほん)が京坂を中心に発生した。この読本発生の機運に寄与したものの一つに,唐話学隆盛に支えられた白話小説の流行があげられる。…

【白話小説】より

都賀庭鐘(つがていしよう)が翻案小説集《英草紙(はなぶさそうし)》《繁野話(しげしげやわ)》,上田秋成が《雨月物語》を発表するにおよび,白話小説は日本の近世小説のスタイルを一変させ,小説の新しい方途を示唆する重要な小説原典(典拠)となった。こうして,白話小説に素材や方法を求める傾向は江戸小説〈読本(よみほん)〉のジャンルの成立を促しただけでなく,曲亭馬琴らの長編読本や明治初期小説にまで及んだ。小説【高田 衛】。…

【半紙本】より

…江戸後期の一般向きの図書は多くこの形態をとる。代表的なものに読本(よみほん)がある。【宗政 五十緒】。…

※「読本」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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