日本歴史地名大系 「青陰城跡」の解説 青陰城跡あおかげじようあと 広島県:因島市中庄村青陰城跡[現在地名]因島市中庄町青陰中庄(なかのしよう)町南方、田熊(たくま)町境にある青影(あおかげ)山(城山とも称し標高二七五メートル)にある。県指定史跡。暦応四年(一三四一)三月二八日付の室町幕府引付頭人奉書案(浄土寺文書)に、生口(いくち)島(現豊田郡)の甲乙人らが広沢五郎と語らい浄土(じようど)寺(現尾道市)領因島に討入ったとあり、この時彼らによって城郭が築かれたといわれるが、この寺領乱入が青陰城築城に結び付くかどうかは不詳。しかし南北朝期には瀬戸内地方の軍事・交通の要衝として、因島は南朝方と北朝方との争奪の地となるが、中庄は開発も早く島の中心地であったため、この時期には築城されていたと推定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by